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日記


by JF1EBPKH
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夢は枯野を……

  8日の夕刻で添乗業務は終わるのですが、念のため昨晩も泊まりました。しかし、特段の用件もなかったので、朝食後まだ残っていらっしゃるお客様に挨拶をして、自分の時間としました。
  前々から行ってみたかった大垣へ、ちょっと寄り道です。錦市場の毎度のお土産も早々に、大垣に向かいます。京都から大垣へは乗り換えなしで行けると思ってましたら、北陸方面、湖西線方面はあるものの、すべて米原で乗り換えなくてはいけないことがわかりました。JR西と東海の縄張りが原因です。お客様より会社都合です。
  最近の旅は、昔の想い出を確認しに行っているようなのですが、大垣は初めての地なので少しワクワクします。なぜ大垣かというと、ここが『奥の細道』の終点なのです。芭蕉の終焉の地は大阪の御堂筋ですが、どんなところなのか興味がありました。芭蕉の辞世は、“旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる”ですが、この句が最近気になっています。俳人とは、人に非ずと書きます。世捨て人ということです。芭蕉は51歳で亡くなりますが、夢は枯野を……とは何なんでしょう。枯野とは、ススキが枯れたような野原のことでしょうか。私はどうも違うような気がしています。枯野とは、まだ行ったことがない歌枕の地。もしくは、行ったことがある想い出深い地。行きたかったけど、まだ行ってない地への憧れ。また、いろいろな想い出が思い起こされる過去の地や人。夢とは、芭蕉の頭の中の回想、妄想で、それらが落語の‘悋気の火の玉’のようにゴウゴウと渦を巻いている。死ぬ間際の、早送りのシーンのような気がします。
  夢は枯野を……_e0116694_23471378.jpg   大垣は戸田氏10万石の城下町。駅を降りると、清水の湧く、奥の細道むすびの地という看板がありました。駅構内の観光案内所を尋ね、地図と行き方を教えてもらいました。歩いて15分くらいです。むすびの地は写真のようなところでしたが、ここでの句、“蛤の ふたみに別 行秋そ”と詠んで桑名まで舟で下ったそうです。芭蕉にとっては、別れの地だったのですが、大垣から舟で、というのには少々驚きました。こんな内陸まで外航船が入っていたことになるからです。江戸時代の海運網はどれほどのものだったのでしょう。驚きです。
  
  お昼は、案内所で訊いた鰻屋でいただきました。皮がパリパリしていて、関西風の焼き方のようです。肝吸いが美味しかった。それと町のいたるところで売っている大垣名物‘水まんじゅう’をいただいて名古屋に向かいました。大垣の地で一句詠みたかったのですが、よむバショウどころではありませんでした。
  
by jf1ebpkh | 2009-07-09 21:11 | | Comments(0)