パルミラ遺跡
2011年 02月 22日
これまでに、イランのペルセポリス、パキスタンのモヘンジョダロ、トルコのエフェソス、エジプトのルクソール等、いろいろ世界史的な遺跡を見てきましたが、いずれも広大で壮麗なものでした。ただただその質量に圧倒されます。古代の人は、クレーンもないのに、どうしてこのような巨大な建造物を造れたのでしょうか。一つ百トンを超す石柱を五つも重ね、その上に梁を乗せて屋根を葺く。日本はまだ弥生時代の末期頃にです。シルクロードはすでに機能していて、パルミラも西の商都でした。おびただしい石柱には、遠くエジプト産の赤い御影石製のものもあって、どうやってここに運ばれてきたのか、その技術は驚くべきものがあります。パリのコンコルド広場の中心にあるオベリスクには、それがエジプトでどのように切りだされ、海上を運ばれ、建てられたかを図で示した彫刻がありますが、古代の人々は知恵と人海戦術でそれを成し遂げています。見事というほかはありません。その知恵を、現代人はどうして引き継いでいないのでしょう。
パルミラの‘ベル神殿’の門柱にあったブドウの文様ですが、奈良薬師寺の金堂薬師三尊の台座にあるブドウ唐草にそっくりです。
by jf1ebpkh
| 2011-02-22 22:38
| 旅
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