イスラムの旅
2011年 03月 01日
今回のシリア・ヨルダンの旅にまた行きたいか?と問われれば、是非また行きたい、と答えます。今回の旅で、イスラムに対する印象がかなり変わりました。ユダヤ教、キリスト教と同じ神を拝むのに、何を争うのか、という印象が強かったのですが、むしろ十字軍とか英仏の植民地政策の被害者ではなかったのか。キリスト教があまりにも世俗化して、自分の都合のいいように宗旨替えをしているから、宗教革命のようにイスラムは起こったのではなかったのか、とか。ヨーロッパ史観からしか見ていなかったた気がすごくしています。
イスラムには、神父や司教がいません。自分と神の間に、何物も置かないのです。キリストもパウロもヨハネも、マホメットと同じ預言者として扱い、排他的な宗教でもありません。ただ、偶像崇拝だけは許せなかったので、キリストといえど破壊しました。ここが大きく違うところです。
現地に行って感じること、判ること。旅には、たくさんの想い出もできますが、またいろいろな思いも生まれます。
イスラムには、神父や司教がいません。自分と神の間に、何物も置かないのです。キリストもパウロもヨハネも、マホメットと同じ預言者として扱い、排他的な宗教でもありません。ただ、偶像崇拝だけは許せなかったので、キリストといえど破壊しました。ここが大きく違うところです。
現地に行って感じること、判ること。旅には、たくさんの想い出もできますが、またいろいろな思いも生まれます。
by jf1ebpkh
| 2011-03-01 21:38
| 旅
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