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第4回 江戸古地図を学ぶ

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   第4回目の今日は、永田町。切絵図は尾張屋版「外桜田」。日比谷・虎ノ門から、赤坂・四谷です。霞が関・永田町界隈といってもよいでしょう。もう20年も前になりますが、虎ノ門支店、通産省内支店で仕事をしてましたので、ここいらはかってのホームグラウンドみたいなものです。今の官庁街は、かっての大名屋敷跡。誰が住んでいたのかが今日のテーマです。警視庁は、大分杵築藩松平市正(いちのかみ)と、戸田淡路守。
総務省と国土交通省は、広島の浅野家。外務省は、福岡の黒田家。財務省が、宮津松平で、文部科学省は、内藤能登守。今、日比谷公園になっているところはかっての長州萩藩の上屋敷。長州は、幕末の禁門の変を起こして朝敵になってしまったため、幕府は即刻ここを召し上げ、更地にしてしまいます。のちに明治政府は、更地のここを日本最初の西洋式公園にします。ちなみに、鹿鳴館は薩摩藩中屋敷跡。鹿鳴館跡の碑は、帝国ホテルの隣地、大和生命館の前庭にあったかと思います。
   江戸幕府は、大名や旗本、御家人の屋敷を無賃で貸していましたが、役宅や家格によって屋敷を一方的に転居させる権限を持っていました。赤穂の浅野藩などお家断絶となれば、領地はもちろん、江戸の家屋敷も没収になります。桜田門の井伊家上屋敷も、さかのぼれば加藤清正の屋敷でした。井伊家上屋敷の跡は現在憲政記念館と議事堂前の公園になっていますが、戦前はここに陸軍省と参謀本部があって、三宅坂といえば陸軍の代名詞になっていました。この公園の中に、日本の近代地図の基本、日本水準原点があります。現在は国土地理院が地図をつくっていますが、戦前は陸軍の陸地測量部が地図をつくっていましたので、陸軍の名残です。その三宅坂ですが、ここには三河田原藩三宅土佐守(備前守)の上屋敷があって、あの渡辺崋山はここで産まれています。現在国立劇場と最高裁判所があるところです。
   今日は結構な雨降りの中でしたが、この講座は楽しめます。忘れていた事柄を想い出させてくれますし、また知らなかったことを教えてもらえます。最近は物忘れが激しくて、特に固有名詞が出てこないのです。あと1回で終わってしまうのが残念です。
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by JF1EBPKH | 2011-11-19 22:27 | 趣味 | Comments(0)