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私の本棚69:将軍を叱った男

  昨年末、長野の須坂市にある田中本家博物館の館長さんから、一冊の本が送られてきました。江宮隆之著『将軍慶喜を叱った男 掘直虎』(祥伝社刊)という本です。田中館長は、須坂藩にも資金提供していた豪商の末裔ですが、このようなお殿様が幕末におりました、と昨年11月に見えられた時お話をしていかれ、その本を是非ご覧下さいと送っていただいたのでした。
  須坂藩1万53石。大名の呼称は1万石以上なので、かろうじて大名を名乗れますが、時の藩主掘直虎は江戸に生まれ、ペリーの来航を目の当たりに見ております。幼い時より聡明であったらしく、開国派で、自らも英語の翻訳が出来るほど語学が堪能でありました。藩の経済を立て直すために家老の人事を刷新し、軍備を洋式に編成し直しました。幕政では、衰微する幕府を如何にして立て直すか。幕末の混乱時とはいえ、小藩の、それも外様大名でしかない直虎に若年寄兼外国惣奉行を命じられます。外様で、それも1万石すれすれの小大名が、若年寄になった例はそう多くはないでしょう。
  しかし、慶喜は鳥羽伏見の戦いに敗れたとみるや、会津、桑名の藩主に断りもなく、両藩の藩兵も置き去りにして大坂から船で江戸へ逃げ帰ってしまいます。慶喜は江戸城にて、今後の幕府のありようを在府の諸侯を集めて諮問致しますが、薩長と闘うのか、天皇家に恭順するのか小田原評定が続き、らちが開きません。とうとう掘直虎は煮え切らない慶喜の態度に業を煮やし、居並ぶ藩主達の前で慶喜に問い詰めます。武士の矜持と、将軍としての責任をです。そしてその場から去ると、城内で切腹して果てます。
  昨年は大河ドラマが会津だったため、幕末から戊辰戦争へ至る本を何冊か読んでおります。しかし、江戸城内で田舎の小藩の藩主が、将軍に対して面前で諫めたこと、諫死したことがあったなど、初めて知りました。掘直虎33歳でした。武士として、というより人間として如何に生きるべきか。あっぱれな殿様であったかと思います。
爽快な読後でした。

将軍慶喜を叱った男 堀直虎

江宮隆之 / 祥伝社


  
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by jf1ebpkh | 2014-01-05 19:51 | | Comments(0)