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北方文化博物館・大呂菴

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酒田からは、特急"いなほ"で新潟へ出て、各停で新津へ。新津からタクシーで10分とありましたが、もっと時間がかかりました。酒田は14時半に出たのですが、『北方文化博物館』へ着いたのは、もう17時を回っておりました。博物館は当然もう閉まっておりましたが、私共は今日はここに泊まりに来たのです。ここに宿泊施設があって、泊まることが出来るなんて今回の日程案を作るまで、全然知りませんでした。弊社と契約があるなんてことも。コンピュターで即予約をしておきました。室数は七室。元は伊藤家のご一族、現ご当主の大叔父の居宅だったそうです。名付けて『大呂菴(だいろあん)』。だいろとは、カタツムリのこと。あわてず、ゆっくり、ゆっくり。大正時代の建物をそのまま生かし、水回りや暖冷房などは現代のものを入れてますが、客室にもダイニングやサロン代わりにもなるサンルームにもテレビがありません。私の子供の頃に戻ったようです。
e0116694_14504847.jpg  タクシーで入口の門で降りましたが、玄関までは大谷石の踏み石で50m位あるでしょうか。「御免下さい」と訪いを告げると、私より少し年上と思われる男性が現れました。「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」と案内されたのは、一階の奥にある八畳の部屋が二間。一方には朱塗りの卓があり、鴨居の上には六歌仙の絵の額があります。付書院の上には、ブロンズで作られた良寛の坐像。テレビはありません。部屋に、風呂やトイレは付いていませんので案内していただき、早速お風呂をいただきました。槇材の浴槽に、洗い場は雄勝石。湯は浴槽に目いっぱい入ってますので、かかり湯をして身を沈めますと湯がザーッとあふれます。明るいうちの風呂は、贅沢な気分にさせてくれます。洗い場で体を洗うと、浴槽にはもう湯が縁まで戻っておりました。また、ザーッと湯があふれます。なんといい気分なんでしょう。
  夕食はサンルームでした。お刺身は新潟の料理屋から運ばせるそうですが、ほかは郷土料理。
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      夜桜の大呂菴(大呂菴のブログより)

  翌朝は、9時の開館前に北方文化博物館を案内していただけました。苔の庭がとても美しく、現ご当主がお住まいになる奥座敷の、普段は非公開の仏間とか、明治時代に東本願寺の座主がお越しになった際に新築された部屋やお風呂場など、めったに見せていただけない所へも入れていただき、豪農の家という存在を改めて認識させられました。

  この伊藤家の物語は、何年か前にNHKの日本の名家でも放映され、雑誌などでもたびたび掲載されています。新潟には豪農のお屋敷が何軒かあり、新発田の市島邸は伺ったことがありますが、ここは初めてでした。前々から訪れたいところでしたので、今回は興味深く、時間に追われることもなく、それこそ大呂のようにゆっくりご案内付きで拝見させていただけました。
  終戦後、日本の千町歩以上所有する大地主は、農地改革によってタダ同然の価でこれまで蓄積した土地を手放すことになりますが、伊藤家は財産が分散するとこを恐れ、いち早く財団を設立して公益に利する博物館としました。そこには先代の伊藤家当主の大変なご苦労があったのですが、それはご自分でお読みください。
ちなみに、千町歩(約千ha)以上所有していた十家ですが、島根の田部家(日本一の山林王。山林は農地でないとして開放を免れ、その後も出雲地方の大地主。県知事をだし、元旦の新聞には出雲大社の千家とともに田部家の年始の年始挨拶が載る)。秋田大仙市の池田家。そして酒田の本間家。石巻は、齋藤家。新潟は五家あって、新発田の市島家、白勢家、南蒲原郡の田巻家、阿賀野の斎藤家。それにこの伊藤家と、北海道夕張郡の鳩山家です。鳩山?そうです、何故、鳩山由紀夫元総理の選挙区が北海道だったのか。祖父の鳩山一郎元総理が、ソ連との平和条約を成し遂げたかったのか、理由がわかる気がします。話が、大分それてしまいました。
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by JF1EBPKH | 2015-07-05 14:51 | | Comments(0)