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私の本棚106 写された国宝・シーボルト父子のみた日本

e0116694_21173450.jpg  e0116694_21275285.jpg 2000年11月に、目黒の都立写真美術館で行われた特別展の図録である。年が明けて横浜の県立金沢文庫でも展示が行われてますが、私は双方とも知らなくて、後日になってせめて図録だけでも手に入らないかとズーッと捜していたのですが、ようやくヤフーのオークションに出てきましたので落札させていただきました。今、文化財の古い写真は貴重な資料として、図録や売り立て帖、古絵葉書などが高値になっておりますが、以前法隆寺の玉虫厨子が露天で撮影された写真を見た記憶があって、この図録にも載っているらしいと知ったからでした。    出品した古本店から送られてきた図録を見ますと、この写真が掲載されております。今ならとんでもないことでしょうけれど、曝涼でお堂の外に出された時なのか、撮影のために外に出したのかはわかりませんが、写真ではお堂の外の敷石の上に、台座も敷物もなく、露天の中にそのまま置かれたまま撮られているようです。玉虫厨子は高さが2mくらいありますから、とても一人では持ち運びは出来ません。数人がかりで、手で降ろしたのでしょう。何のために。季節はいつだったのでしょうか。e0116694_21543453.jpg 図録には、1908年5月工藤利三郎『日本精華』第1輯とあります。工藤利三郎という人は、嘉永元年に徳島に生まれ、徳島で写真営業をしていましたが、文化財写真の撮影のため、徳島の写真館を閉め、奈良に移住してきた人だということです。『日本精華』という写真集を11巻まで発刊したそうですが、入江泰吉や飛鳥園を創業した小川晴暘の先駆けを成した人なのかもしれません。この図録には、この人の阿修羅も掲載されていますが、阿修羅像の手が欠けております。 e0116694_21564644.jpg     もう1冊は、上の本を買った古本屋が出品していました。1996年2月江戸東京博物館で開催された際の図録です。当時、オランダに限らず、日本が開国した明治期の諸外国との国交何周年という行事がたくさん催されており、特にオランダはシーボルトの収集品がライデン大学を中心に豊富に残されていたため、日蘭相互で記念展が開かれておりました。この江戸博での特別展も見に行っておりまが、日本の民家模型や焼きのり、駄菓子まであって(当然江戸時代のもの)、もうビックリの連続でした。いづれ、ライデン大学に行って、東洋学資料館の展示を見に行こうと思っていたのですが、まだ果たしていません。   しかし、シーボルトはものすごい量の資料をオランダに持ち帰っているのです。過去、一説にあったスパイ説は現在では公認されたのも同然ですが、博物学的な動植物の収集品はもちろんのこと、国外追放の原因となった各種地図(伊能図だけではありません。城絵図や街道圖も)、和紙見本、絵の具見本、生地、染織などの見本帳、各種職人の道具一式、等々、ありとあらゆるものを持ち帰っているのです。建物や風景など持ち帰れないものは、専属で雇っていた絵師に絵を描かせています。オランダの商館長が恒例の江戸参府をする際は、商館長に願って同行を乞い、九州から本州に船で渡った際は、関門海峡の水深まで計っているようです(当然極秘事項です)。立ち寄る港の様子や宿場、関所、街道の風景、風俗、食べ物など、日本の衣食住すべてです。幕末に来航したペリーは、シーボルトの『日本誌』を読んで日本へ来たことは間違いないようですが、当時、西洋文化に触れていないまったく異質の民族であった我々の祖先は、好奇の眼差しであったのでしょう。和紙は、秀吉の時代に天正遣欧使節が行く先々で鼻をかんだ紙を、西欧の庶民達が争って拾い上げて持ち帰ったという逸話がありますが、幕末に来日した英国の公使オールコックも本国へ膨大な量の和紙を持ち帰っています。これらの収集品は現在でもきちんと保管されているそうですが(先年、里帰りして展示されています)、現在でも日本の、例えば京都伏見の「染色よしおか」に、昔通りに茜や紅花、藍で染められた染色資料を、英国のロンドンにある《ビクトリア&アルバート博物館》(工芸関係で著名)が特注しております。   日常のもの、珍しくないものをあえて集める人はいません。しかし、日常品ではあっても、目にしたことのないものは、興味を持ってくれる人はあります。この図録はそうしたものであふれています。
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Commented by 阿修羅像の合掌手 at 2018-03-11 08:48 x
阿修羅像は合掌していたのかについて、去年の朝日新聞(2017.2.22)にかかれていました。要は、手の付け根のボルトがゆるんでいて、位置がずれたというのが結論のようです。くわしくは、「観仏日々帖」こぼれ話~「興福寺・阿修羅像は、合掌してたのか?(1)(2)(神奈川仏教文化研究所)2017.3.18 に詳しく載っています。それにしても、阿修羅の天衣については、まだ誰も指摘していません。ほんとに、気がついていないのかな?
Commented by omachi at 2018-03-23 17:55 x
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索すればヒットし、小一時間で読めます。その1からラストまで無料です。 北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。気が向いたらお読み下さいませ。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。 東大寺・毘盧遮那仏を造立した聖武天皇の外祖父が登場します。岡潔が後半生を暮らした奈良が舞台の小説です。(奈良のはじまりの歴史は面白いですよ。日本史の要ですね。)
by JF1EBPKH | 2018-03-10 22:15 | | Comments(2)