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神奈川の地名

e0116694_22113037.jpg   昨年は抽選にはずれて行くことが出来ませんでしたが、今年は運よくご当選となって、神奈川県公文書館の第3回『神奈川県の地名』講演を聴いてきました。講師は、公文書館の資料課長齊藤達也氏。先年、同名の本を著されて、今年は明治150年に当たるので、今回のテーマは明治維新と神奈川の地名の変遷。神奈川県の県域の確定から始まり、足柄県から伊豆を分離し、武蔵の国との調整。川崎市の全域と横浜市の大部分は武蔵の国であって、神奈川県が旧相模の国と言われ、東多摩郡がなくて三多摩が神奈川県から東京府に移管される時期など、どうしてそうなったのかの理由説明はなかったのですが、公文書上の移管年月日は明確に話をされました。 
  地名の由来は語源と同じように、いろいろな説が陳べられますが、地名に東西南北、上中下などがあるのはと、明治時代以降はすべて明確に語られるのですが、京急線の南太田駅はあっても、なぜ太田駅はないのは?とか、横浜市の中和田は、接している大和市の上和田、下和田の地名と同様の発生かと思っていましたが、中川村・和泉村・飯田村の三村が各村の一部を分割して合併させたから、三村から一字づつ取って名前を付けたなど、えっーと思わせる話もありました。判ってるようで知らないことは、まだまだあるということです。
  おまけもありました。相模の国の表記ですが、国名を決めた延喜式には、相摸とあるそうで、木偏ではなく、手偏だったそうです。でも、木偏でも間違いではありません。

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by JF1EBPKH | 2018-05-20 22:24 | 日常 | Comments(0)