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私の本棚107:釈伝『空海』

 いやはやかなり読みにくい本でございました。上・下巻で860頁。電車内読書とはいえ、約3週間かかりました。著者は、西宮紘(にしのみやこう)氏。残念ながら、この本が出版される(2018年3月10日)前にお亡くなりになっていらっしゃいますが、京大の物理学科を出た方です。この著作を書き上げる一年前には、空海が乗り移ってきた、と真顔で話されるので編集者は閉口したと述べていますが、宗教のそれも教祖という人物の伝記を書くにあたっては、読むことのできる書物にはほとんど目を通されたと思いますので、ある意味では本人以上に分析してしまったんだろうということでしょう。 
  釈伝としたのには理由があって、一つは釈伝という言葉が僧侶の伝記であるという伝統的な理由であることと、もう一つは釈という語は筆者の解釈が加えられたものであるという理由からだそうです。空海自身は漢文の達人であったから、この著作では空海の残した文、詩、講義などを皆書き下し文に直してありますが、さらに意訳をした文章を続けています。とても親切なやり方ですが、現代文に慣れ過ぎてしまっているわが身としては、書き下し文は余計で、かといって白文のままでは読めないので、なかなか意味がくみ取れないのです。原文の漢字、単語が頻繁に出てきますので、仏像の名称とか宗教用語とか、お経によく使われる漢字が頻繁に出てきますので、一度読んだ文章でもまた行を遡って繰り返して読まないと文章として頭に入ってきません。
  私が知りたかったのは、遣唐使の一行として渡海し、唐にてすぐにも会話が出来たというが、いったいどこで会話を習得したのか、という疑問でした。たくさんの人が空海の伝記を書いていますが、司馬遼太郎さんでも空海がどこで、誰に唐語を習ったとは綴られていません。渡海する何年か前の、いわゆる空海の空白の数年間に学んだのであろうと推定しているだけです。師匠の恵果阿闍梨との伝説的な灌頂のくだり。師弟直伝の場では、唐語が分からなければ、この伝説は意味を成しません。著者は、唐招提寺で鑑真大和尚とともに来日した如宝とも唐語で会

釈伝 空海 (上・下)

西宮 紘/藤原書店

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話していたのではないかと述べていますが、当時は結構唐から来日していた人々がいたようですので、彼等から実践的な会話を学べたのかもしれません。しかし、この著作でも多くは触れていません。
  空海という法号を授けてくれた行空法師は私度僧であったこと、空海入滅後の遺体をどのように弟子たちは処理したのかなど、宗教的尊厳にも触れることは詳しくしていませんが、あらためて空海は天才。最澄は秀才という印象を受けました。


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by JF1EBPKH | 2018-07-05 22:00 | | Comments(0)