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カテゴリ:旅( 272 )

🍒サクランボ狩り

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  🍒さくらんぼ狩りに行って来ました。ここ何年かの6月の旅行です。昨年からは、1泊2日の読売旅行のバスツアーにしています。バスで横浜発着ですから山形まではちょっと時間がかかりますが、乗っていればあちこち連れて行ってくれるし、それに
このツアーは一人1kgのさくらんぼのお土産が付くのです。うちらは連れ愛と二人だから2kg。それで参加代金は25,000円。さくらんぼは現地で買っても500gで3,500円はしますんで、お買い得です。しかし、今年はちょっと実も小さかったし、甘みももう少しでしたかね。来週の方が良かったかもしれません。まぁ、昨年は最近にない当たり年だったから、その分割り引かなければなりませんが、農園が変わったからかもしれません。それでも、親の時より子の時とばかり、両手で摘まんでは口に入れてましたので、連れ愛は人間ジューサーじゃないんだからと笑っておりました。しかし、このうまさはこの時でないと味わえないのです。スーパーでも山形産の佐藤錦を売ってはおりますが、現地のサクランボ園で樹からもいで食べるのとでは、味も食感も雲泥の差があります。スーパーのさくらんぼに食指は動きませんネ。e0116694_22551035.jpg
 昨日は890hpの低気圧が日本海を北上していたので、蔵王のお釜はものすごい強風でバスから降りられないほどでしたが、今日はうって変わって真夏のような晴天。今年は5月に北海道の北見で30度を越したりして、日本中が天候異変の状態ですが、それも影響しているのでしょう。写真は、長井のあやめ園ですが、アヤメもちょっと遅れ気味だそうです。1年にこの時期だけの愉しみですが、あと何回来ることが出来ますか。
by JF1EBPKH | 2019-06-17 23:05 | | Comments(0)

ノートルダム寺院大火災

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 今朝、朝一番のニュースはパリのノートルダム寺院が焼け落ちる画面でした。フランス人でなくても「オー、ラ・ラ」と言いたくなる光景です。パリというより、フランスのシンボルのような建物です。パリ観光ならば、必ず行くところです。今回の事件は、法隆寺の金堂が焼けてしまったことと比較できるでしょうか。ルーブルでなかったのが幸いですが、この損失は計り知れません。
e0116694_07483274.jpg e0116694_07491114.jpg 建物は再建されるでしょうが、焼失したものは戻ってきません。 幸いにも、フランス文化を代表するファッションメーカーが早速寄付の申し出をしたようです。ヴィトングループが250億円相当、グッチグループが125億円相当と、すでに1000億近くの金高が公表されています。カトリックの国では復活の日のために、神に喜捨することで贖罪の習慣があります。ならば、この際、カルロス・ゴーンも自らの蓄財の中で、やましくないものを寄付されたらいかがでしょうか。
by JF1EBPKH | 2019-04-16 22:13 | | Comments(0)

ランス

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 e0116694_16561209.jpg ランスに着いたのはもう陽もくれた夕暮、とはいってもまだ5時。明日はクリスマスだから、ミサのために万が一お堂に入れないかも知れないので、今日中に入ってしまいましょう、というので左は夜景のライトアップ写真。上は、翌朝9時ちょっと過ぎのノートルダム大聖堂です。創建は13世紀。ドイツのケルン大聖堂と並ぶゴシック建築の代表作です。高さは56メートル。大聖堂の周囲には約2,300に及ぶ聖人の彫像が刻まれており、建築物としての荘厳さはほかに類を見ません。初代から25代までのフランスの王様の即位式はこのランスの大聖堂で行われており、格式から言えば、パリのノートルダムより上になります。しかし、革命後は州都にもならず、TGVの駅もなく、彦根みたいな町になってしまいました。 
  でも、フランスの歴史では欠かすことが出来ない町であり、大聖堂の中にも外にもはジャンヌ・ダルクの彫像があり、今次の大戦でドイツ軍の空襲で瓦礫の山になってしまうのですが、町の人々の寄金と思いとで見事再建されているのです。シャガールが描いたステンドグラスもあり、いろいろな話題には事欠きません。下は、聖人サン・レミの聖堂。こちらも厳かですが迫力あります。
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by JF1EBPKH | 2018-12-30 23:03 | | Comments(0)

東部フランス

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ストラスブール、リボヴィールは、アルザス。ナンシーはロレーヌ。ランスはシャンパーニュと、今回はワイン、フォアグラ、シャンパンと、フランスの美味しいもの巡りにもなりました。
ストラスブールから南へ下るライン左岸沿いは、ワイン街道と呼ばれる白ワインの産地が軒並み並んでいます。白ワインの発泡性を強めたシャンパンの名称は、シャンパーニュ地方だけに許可されているブランドなので、アルザスでは“トレマン”という名称で発泡性ワインを販売しております。e0116694_12055405.jpgなので、昼食時に試しに飲んでみましたがイケマス。試しなので、24ユーロの一番安いボトルを頼んだのですが、キリッとしまった後味の香りも良いものでした。昼食後に巡ったクリスマスマーケットでは、サラミやパテ、チーズなど、美味しいものがたくさん売っていて、それこそ検疫と荷物の重量制限さえなかったら買って帰りたいものばかりです。クグロフやマカロンもアルザスで生まれたものだそうですが、ドイツに近いため、ビールも美味しかったです。
 ナンシーは2度目でしたが、前回は昼食の経由地として寄っただけでしたので、今回は町をゆっくり歩いてみました。この町は、アールヌーボウ、アールデコの発祥地でもあります。昼食をアールヌーボウ建築で有名な"エクセルシオール"レストランでいただければと思って行ったのですが、クリスマス・イブのランチです。受付で即座に、本日はすでに予約で満席です、と断られてしまいました。ウーン残念。しかし、ここで素晴らしい広場を見ることが出来ました。スタニスラス広場というポーランドから逃れて来た王様が造った広場です。ベルサイユ宮殿に使われているような大きな白い色合いの敷石が敷き詰められ、広場に入るゲートは金色に装飾されて実に荘厳です。
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by JF1EBPKH | 2018-12-28 22:15 | | Comments(0)
e0116694_22343459.jpg   連れ愛と、『フランスのクリスマス・マーケット巡り』というツアーに参加してきました。クリスマス・マーケット自体はドイツの方が盛大ですが、今回参加したツアーには、コルマールとかリボヴィールというフランスのアルザス地方の田舎町を巡るのです。日程は、成田✈アムステルダム✈ストラスブール【泊】🚌コルマール🚌リボヴィール🚌ストラスブール【泊】🚌ナンシー🚌ランス【泊】🚌パリ【泊】✈成田ですが、運転免許を持ってない私としては、田舎町を効率よく回るには、このようなツアーが一番です。
  では何でこんな田舎町に行きたかったのかと言うと、ヨーロッパでは「美しい村百選」とか「農村で休暇を」という運動があって、それは森や林が大好きなドイツやオーストリアが中心となっているのですが、ドイツ国境に近いコルマールやリボヴィールはこの運動で賞を受けたていたのです。私は40年前に、㈶日本農村振興協会という協会の仕事をしていて、何回かこの協会が主催する視察団の添乗員をしておりました。この町を訪ねたのは1979年の5月でしたが、この町の市長さん方と交換会を催して、お土産に鯉幟をお渡ししたことがあったのです。なので、いつかまた行くことが出来ればもう一度訪ねてみたい町になっていたのです。しかし、その当時は添乗の仕事で忙しく、ほとんどその時のことは覚えていないのです。今回は、想い出捜しみたいな旅になりました。
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 コルマールという町は、人口が約7万人。アルザス地方でも、神聖ローマ帝国時代までさかのぼれる古い町のひとつです。もとは自由都市であったそうですが、太陽王ルイ14世がライン川以西はフランス領、と宣言して以来フランスとなります。最近ではスタジオジブリのアニメーション『ハウルの動く城』のモデルとなった町として有名になりました。スタッフたちが寝泊まりしたホテルもありますが、1871年普仏戦争(プロイセンXフランス)でドイツに負けたため、ドイツ領・エルザス・ロートリンゲン州の一部となり、ドーデが"最後の授業"を書いたのもこの時期になります。しかし、もともとドイツ領でしたので、この一帯は今でもフランスより進んだ工業地帯の都市となって、郊外には日本企業もたくさん進出し、日本人の住民も増えたために成城学園は2005年まで中学・高校を開校しておりました。閑話休題。  話題がそれましたが、コルマールは今でも写真のようにドイツ的な木造の梁が見える家並みが続く美しい町です。町のメイン通リを10分も歩けば、町を囲んでいるワイン畑にすぐ出てしまいます。隣のリボヴィールはもっと小さな町ですが、ライン川に沿って、このような町がいくつもあります。クリスマス・マーケットが盛んなのも、ドイツ文化がまだまだ残っているからなのかもしれません。
by JF1EBPKH | 2018-12-26 22:44 | | Comments(0)

奈良一日フリー切符

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 今回、4日目の自主研修では奈良交通の一日フリー切符を使いました。ホテルのあるJR奈良駅前から東大寺、東大寺を廻って今小路からJR駅へ戻ってホテルに預けた荷物を取って近鉄奈良駅への3回しか乗らなかったのですが、この方が安いのです。薬師寺や唐招提寺へも行けるのですが、今回は今井町へ行く予定なので使えません。これまでなら、JR奈良駅⇔東大寺など、3~4回往復しても何ともなかったのに、今回は左足の調子が悪く、今井町で歩けなくなったら困るからと大事を取りました。
  このフリー切符を買いにJR奈良駅前の奈良交通のバスターミナルに行ったのですが、案内所が見つからず、バス乗り場にいる奈良交通の案内人の方にフリー切符はどこで売っているのか尋ねましたら、JR奈良駅構内の2階の案内所へ行って下さい、とのこと。足が痛かったので、その時は100mも歩くのが嫌だったので、駅前に販売しているところはないのかと再度尋ねましたが、JR駅に行ってくれとのことです。京都駅では、バス乗り場の一角に大きな案内所があって、乗り場と案内所が目と鼻の先にあります。なのにここは、と少なからず呆れてしまいました。JR奈良駅を利用して奈良市内を観光する人がどれだけいるというのでしょう。1時間に2本程度しか電車は来ないのですよJRは。観光客は便の良い近鉄で来るでしょうし、バス乗り場でもないJR奈良駅の2階で案内所ですと。バス乗り場で目を凝らしても、案内所はないのです。お客様本位には全くなっていませんね。
  奈良の観光大使を務めていた某ホテルの総支配人さんは、奈良は家業がほぼほぼだったらええんですわ。京都のワコールや任天堂のように、外に出て行こうとはしないで、ほぼほぼ生業が成り立っていれば可なんですと。奈良遷都1350年の節目の年度にも、奈良市役所、奈良県庁も幟を下げませんでしたし、公選したゆるきゃらの"セントクン"の応援どころか、セントの上をいく"マントクン"とかほかのゆるキャラを許可して。せっかくマリオットホテルが新大宮に進出しようとしていたのに、手続きが遅く結局工期が間に合わなくなって、マリオットは撤退。生業が成り立つどころか、興福寺旧境内の旅館"大仏館"は大阪の不動産屋に買われて駐車場に。猿沢の池畔の老舗"魚佐旅館"は廃業。JR奈良駅前に"三井ガーデンホテル"が建つときは、地元の宿泊業に影響が大きいから修学旅行生はとらないと契約させながら、駅前の"いろは旅館"はスーパーホテルになり、JR奈良駅横の"奈良国際ホテル"も廃業してしまいました。家業も成り立たない地盤になっているのです。行政と民間がチグハグなのです。
  自称奈良応援団として、奈良ファンを一人でも増やそうとしているのに、修学旅行生を受け入れることが出来る宿は今何軒あるでしょう。食事場所しかり。奈良市内、法隆寺も薬師寺も、お奨めできる宿もレストランもありません。見せたいところは山ほどあるのに、世界でここだけというものはたくさんあるのに、京都から毎日通ってくるのは面倒ですよね。でもねぇ、現状は宿も食事も京都で、という人が圧倒的に多いのです。
by JF1EBPKH | 2018-11-26 19:13 | | Comments(0)

道長 千年後の満月

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  京都から帰る新幹線から、とても美しい満月を観ることが出来ました。写真を撮ろうと思いましたが、あいにくカメラの電池が切れていて、残念。
  翌日のニュース記事によれば、何と、昨日(11/23=旧暦十月十六日)の満月は、道長が詠んだ「この世をば わが世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思えば」の満月から、ちょうど千年目の満月だったというのです。平安の貴族藤原実資(さねすけ)の日記『小右記』や、道長自身の日記『御堂関白記』によると、道長はこの歌を寛仁二年(1018)十月十六日に詠んだそうで、兵庫の明石市立天文科学館の井上毅館長が調べてみると、この日は確かに満月だったということです(この稿、朝日新聞デジタル11/23配信より)。
  道長はこの歌を詠んだ後で、「奢った歌かと思うかもしれないが、……」と皆が居並ぶ満座で語ったということですが、この世はすべて自分が思うままにできるのだが、あの世のことまでは如何ともし難い、と末法が近づく世の中をひどく怖れていた風が私には感じられます。満月のあとは欠けるばかり。自分も、一族も……と、なすすべがない自らの力の限界、人間には及ばないものがあるという諦念も感じられます。
   その子頼通は、この道長から譲られた別荘を寺院に替え、平等院とするわけですが、竣工するのはまさに末法が始まるといわれた永承七年(1052)。のちに頼通はこの鳳凰堂で阿弥陀仏様から導かれた五色の糸を握り絞めながら息を引き取ります。
   私が鳳凰堂に初めて入ったのは中学三年でしたが、修学旅行で訪れた鳳凰堂で感激し、翌年の夏アルバイトで得たお金で一週間京都・奈良の古社寺を巡りました。鳳凰堂は今のように拝観の制限などはなく、何時間居ても誰にもとがめられませんでした。眠たいような眼をした定朝の阿弥陀様。周りに飛び交う雲中供養菩薩たち。真夏の暑い日差しの中を毎日歩いていた私には、涼しい風が吹き抜けていくお堂の中で、私はそれこそ極楽にいるような思いをしていました。頼通が糸を握っていたと同じ空間にいることが実感できたからです。
   今年も、お堂に入る前に大学教授と鳳凰堂の話をしながら、自分の鳳凰堂への想い出を語っていました。この教授は、〈鳳翔館〉の展示をデザインした方です。雲中供養菩薩は展示替えをしないんですかとか、いろいろ話題は尽きないのですが、同じ時代に同じような思いをしていらしたことが判りました。来年もまたこの研修旅行は実施されるでしょうが、私はたぶん同行出来ないでしょう。でも、今の学生の中から、一人でも古美術に興味を持ってくれる学生が出てくることを願っています。
※冒頭の満月写真は合成です。
by JF1EBPKH | 2018-11-25 21:23 | | Comments(0)

今井町

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  大学の研修は3日間で終了して現地解散のため、私はもう1泊して前から行ってみたかった今井町へ行くことにしていました。午前中に水谷茶屋を見に、春日大社から東大寺を一周して、大和八木西口駅へ。そこから歩いて10分ほどで重要伝統的建造物群保存地区の今井町に着きます。東西約600m、南北約300m、現在でもここに約500棟の町屋が残されています。環濠集落と呼ばれていますが、自営上の掘りが造られたのは戦国時代。一向宗本願寺の御坊が出来てからだというのです。相手は信長。結局は信長に降参し、赦免の朱印状で自治権を得たことが始まりです。経済の裏付けは米、肥料、木材などの商業でした。海の堺、陸の今井と言われてますが、堺にそそぐ大和川の支流飛鳥川が今井町のすぐ脇に流れています。なるほど。e0116694_22173623.jpge0116694_22200752.jpg  しかし、街の中ですれ違う人はほとんどいません。居ても、高齢者ばかり。小中学校は、この寺内町にはなさそうです(お堀の外にあります)。でも、重要文化財の民家は10棟もあるのです。中でも昭和32年に重文指定された惣名主今西家は、城塞のような造りです。いづれも予約すれば内部を見学させてくれますが、今回は時間がありません。今井町のすぐ隣には八木町がありますが、ここは街道の交差路。登録有形文化財から、近世、近代の歴史をうかがわせる建物や町屋が300件残ります。近世の旅籠も現在再現修復中とか。自治体の橿原市は町家を修復して貸したり、体験生活をさせてくれていますが、店を開いても永く続かないのだとか。しかし、こういった町は全国的に無くなっていくのだから、今存続を続けて欲しいと思います。町全体が重要建造物群なんてところは、もう数えるほどしかないいのだから。e0116694_23285409.jpg      この写真は、明治時代に彼の関野貞博士が設計した奈良県の勧業館(現奈良国立博物館別館仏像資料研究センター)ですが、冒頭の建物は今井町の旧町役場で、それ以前は社会教育施設でした。現在は、今井町まちなみ交流センター『華甍』(はないらか)として、今井町見学の案内所として公開しています。そっくりです。同じ博士の設計かな?
by JF1EBPKH | 2018-11-24 22:21 | | Comments(0)

今朝の水谷茶屋

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  今朝の奈良・"水谷茶屋"です。まだ9時前ですので、開店していませんが、周りの紅葉はまだまだのようです。手向山神社、東大寺の講堂跡裏、鏡池、大湯屋等等の大イチョウは、いずれも葉が散っているのに、カエデの紅葉が今二つでしょうか。
をしていますが、今年が今までで一番青い葉かもしれません。しかし、鎌倉や京都のように、潮風や真夏の熱気に焼かれていないだけ、まだ良いかもしれません。 e0116694_12080500.jpg              
e0116694_12055063.jpg左:東大寺講堂跡 
右:手向山神社隣接地             
by JF1EBPKH | 2018-11-23 09:07 | | Comments(0)

修復中のところばっかし

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    今朝の斑鳩法隆寺です。小雨🌂模様の天気予報でしたが、どうにか傘なしで1日歩けました。何しろ今日は、午前中いっぱい法隆寺、午後は東大寺という歩きっ放しの内容なのですから、天気は大いに気になっていたからです。 しかも、どこも修復中のところが目立ちます。法隆寺に注文、じゃなくて法隆寺の中門、東大寺は戒壇堂の門、大仏殿の東回廊、平等院鳳凰堂内の須弥壇(何とここの内陣内に、修復のための足場が組まれていたのですよ。あの狭い所に天蓋まで届く足場が)。清水寺も薬師寺も、大規模修復。西本願寺の飛雲閣もそうですね。 おっと、書き忘れるところでしたが、醍醐寺の五重塔へ行く伽藍の中の林の木が、全部台風で根こそぎ倒れてしまって、まるで新しい建築物を建てるのかと思わせるほど明るくなって整地されようとしているのですよ。これには驚きましたね。高雄の神護寺や、鞍馬の鞍馬寺の参道や森林が倒れて大変な状況になっているのはテレビでやっていましたので知っていましたが、まさか醍醐寺の境内までもこんな事態になっているとは知りませんでした。五重塔は何とも無かったのにねぇ。
by JF1EBPKH | 2018-11-22 15:03 | | Comments(0)