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<   2009年 08月 ( 14 )   > この月の画像一覧

宮島

e0116694_2252537.jpg   宮島へ行っておりました。来月100名様ほどの団体があり、幹事さん5名様と下見です。仕事と私的な旅で、毎年宮島へ行っているような気がします。しかし今回は宮島の島へ泊るので、夜景の大鳥居を見るのは初めてでした。
   行程は、羽田→広島空港→学校訪問→宮島(泊)→江田島→呉→竹原→広島空港→羽田です。以前にも廻ったことがあるところばかりで地理感はありますが、団体で食事出来るところ、乗り降りを含めた見学所要時間など、団体旅行ならではの視点から見ていかねばなりません。また、今回の旅行を主宰する側からの注文もあります。限られた時間の中で、それらをうまくつないでいかねばなりません。宮島ー江田島ー呉は船による移動です。貸切バスなら集合が遅れても、あとをずらせば済みますが、船は遅れたらアウトです。
   呉、舞鶴、横須賀、そして先月は自衛隊富士学校と、最近の旅先を振り返ると自衛隊お宅みたいですが、今回も旧海軍幹部候補生学校、大和ミュージアムを見学します。呉で昼食しなければなりませんので、普通の団体旅行で行くようなところでなく、かっての将校用の料亭を捜したのですが、1軒見つかりました。呉は爆撃にあって焼け野原になり、運良く残っていた料亭も戦後立ち行かなくなって廃業してしまったそうです。無理もないことです。見つけた‘五月荘’さんは、大和ミュージアムにも資料を寄託している料理屋さんでした。
   最後は竹原の観光。尾道まではいらしたことがあっても、竹原まで足を運んだことがある人はそうはいないでしょう。ここにも古い街並みが残っています。江戸時代の碩学頼家が出たところでありますが、日本のウヰスキーの創始者竹鶴政孝氏のご実家があります。入社して間もない頃、先輩の引き継ぎで私は‘ニッカウヰスキー’さんを担当しておりました。G&Gを発売した頃です。そのずっとあと、サントリーさんの仕事をさせていただきましたが、日本のウイスキー史を少し調べたことがあったので、竹鶴さんは私にとって身近な人に感じられます。ご実家は、今も〔竹鶴酒造〕という日本酒の醸造元です。今回は4年ものの純米原酒をお土産にしました。
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by jf1ebpkh | 2009-08-30 23:00 | 仕事 | Comments(1)

麻生総理来たる

e0116694_21454499.jpg   〝麻生総理来たる〟2日前にこんなポスターが貼られました。現職の総理大臣が我が町に来るなんて、初めてです。よほど行くところがなかったのでしょう。でも、どんな話をするのでしょう。聴いてみたかったので、3時に仕事を終えて(半年休処理にして)駅前でお待ち致しておりました。当然地元神奈川五区から立候補している自民党議員の応援なのですが、4時から始まった立会演説会なのに、麻生総理のお出ましは4時40分。暑いし陽が眩しいし、少々待ちくたびれました。
  もう投票はしてしまったので、物見遊山気分でしかありませんでしたが、政権交代もそうだけど、世代交代もして欲しいなぁ。若い人がこれからの日本を作るのだから。
by jf1ebpkh | 2009-08-27 22:16 | 日常 | Comments(0)

地方を歩くたびに

  毎日満員電車に揺られ、街中では人を掻き分けながら歩いている生活が日常だと、旅先の閑散としたシャッター通りを見るのはつらい。日本はどうなってしまったんだろう、どうなってしまうんだろう、と不安にかられます。今回の北陸の旅でも、先月の美濃方面の旅でも、それは感じることです。にもかかわらず、東京や横浜では、高層のマンションがいまでもあちこちに建てられています。まだ都会の人口を増やそうとしているのでしょうか。地方がドンドン疲弊しているなか、その分都会が潤っているのでもなく(それだったらもっと悲惨ですが)、地方は町おこし、地域おこしに躍起となっているのに、政治家はなんと思っているのでしょう。地方から当選している議員のほうが圧倒的に多いはずなのに。
  今週末も仕事で広島方面へ行く予定なので、今回は期日前投票を早々に済ませましたが、今回は10%を越える有権者が期日前投票をするとか言ってました。何かを変えて欲しい、換えたい、という気持ちがこういう行動になっているのでしょうが、政治家は真摯に受け止めなければならないと思います。
  昭和の30年代がなつかしく、貧乏は身近にたくさんありましたが、世の中がどんどん良くなっていくという実感と、希望は子供心にもあったような気がします。テレビが来、新幹線が走り、一億総中流という意識がありました。我が家に電話が引けたのは、私が高校2年の時だったかと思いますが(テレビが来たのは日付まで覚えています)、今一人1台電話を持っているのもかかわらず、幸福感がないのはどういうのでしょう。
  今回の選挙で、いくらかでも世の中を変えたいという一縷の望みで、盲目の人が期日前投票にわざわざ投票に来たというのに、役所の係長が用紙を間違えて案内し、立会人が注意したにもかかわらず誤りを通してしまったというのは、どういう神経なのでしょう。この係長はどう責任をとるのでしょうか。役人が一所懸命仕事をしているとは感じられないから、今回はそれを変えたいとみんなが思っている。選挙結果が楽しみです。
by jf1ebpkh | 2009-08-26 23:21 | 日常 | Comments(0)

高岡の観光

  雨の五箇山でしたが、翌朝は快晴。真夏の日差しでした。この日は、井波の瑞泉寺と欄間彫刻の会館、そして高岡へ出て、鋳物資料館と瑞龍寺です。これは私の旅です。
  井波の瑞泉寺は、当地へ欄間彫刻の技術を残した宮大工の貴重な木彫がたくさん残っています。お寺の欄間はもとより、総門の扉、壁板など、レリーフから籠彫りといって、お寺の軒下に魔除けの龍や動植物を彫り込んだものがあります。欄間彫刻が表と裏で絵柄が違うのに対し、丸く中が空洞になっているので籠彫りの名称があります。瑞泉寺からまっすぐの参道八日町通りの両側には、今でも欄間彫刻の工房が並んでいます。しかし、欄間自体が日本の住宅に取り入れられなくなって需要が激減し、せっかくの技術が絶えようとしています。この日も、町並みは学生時代に訪れた時より、みな小ざっぱりと綺麗なたたずまいになっていましたが、観光客も少なく、通りは閑散としていました。
  次が高岡です。日本の梵鐘や大型、小物の美術鋳物の工房がここにはいくつもあります。金工で人間国宝の称号をいただいている人も2名ここにいらっしゃいます。町名は金屋町。千本格子の美しい町並みが保存され(高岡市は土蔵の町並み保存もしています)、その一角に‘鋳物資料館’があります。しかし、展示内容はあまり感心しませんでした。見せるものがありません。かなりがっかりしてしまいましたが、受付の係りの人と話し込んでしまって、小1時間もいたでしょうか。瑞龍寺の拝観時間に間に合わなくなって、拝観は翌日になりました。

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  高岡の瑞龍寺は、私が知っている中では壮麗というか、端正というか、NO1に押したいお寺です。曹洞宗の禅寺というより、城郭建築のようにも思えます。建てたのは、前田家2代利長公。お寺の中心、仏殿の屋根は金沢城の城門、石川門と同じく鉛で葺かれています。万が一の時、銃弾にするための用意です。
  ここには、学生時代宿泊した想い出があります。瑞龍寺は、前田家の財政支援が受けられなくなって窮乏し、昔はユースホステルをしていました。今でもユースの事務局を置いているそうですが、今から思えば、何ともったいないところへ泊ってしまったのだろうと思います。回廊をかなり巡って部屋に案内された記憶があるのですが、それがどこであったか知りたく思ったので、年配の売店のおばさんに伺ったのですが、写真でも見ないとわからないと言われました。瑞龍寺は、平成9年に国宝指定されてからずいぶん様子が変わってしまっています。壮麗さは増したようですが、回廊内の樹木はすべて伐採されてしまっています。
  
  大学の金工専攻の学生には、井波、高岡、金沢は必修として、瑞泉寺、瑞龍寺、そして金沢のいろいろな工芸工房を毎年日程に入れておりますが、今年から日程が1日短くなったため、井波が外されました。それが少し残念です。

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氷見線に‘忍者ハットリくん’電車が走っているので、乗ってきました。
 
by jf1ebpkh | 2009-08-23 19:14 | | Comments(0)

越中五箇山にて

  越中五箇山にいます。外は雨です。新宿を午前8時に発って、平湯、高山、白川郷経由の五箇山です。五箇山の停留所には、午後15時47分着でした。五箇山は3度目ですが、以前と比べると隔世の感があります。
  前回は、と言っても十年以上前になりますが、日本風俗史学会の研修旅行で来ました。重文の岩瀬家が全面解体修復中で土台しかなく、ガッカリした想い出があります。その当時と比べると、道路も町並みも綺麗になってしまって、昔は日本の秘境と呼ばれていた五箇山が、いとも簡単に来られるようになってしまいました。初めての時は、富山の方から、井波、城端、大牧温泉など、瓜破の水など名水の旅で、郡上八幡へ抜けた旅でした。
  今回は、9月上旬実施の大学生の研修旅行で、ここで昔の人々の生活体験をしようという体験学習の下見打ち合わせで来ているのすが、自炊をさせたいという教授の思いが、どれくらい実現できるか、その打ち合わせです。実際、大学生に限らず、今歯釜でご飯を炊ける人がいるでしょうか。薪から火を起こして、はじめチョロチョロ、中パッパができるでしょうか。お米の量、水の量、火加減、その時間。飯盒ですら難しいと思います。
米を研ぐ、炊く、蒸らす、そしてよそう。稲から米、ご飯とその過程で名前が変わっていきます。茶碗に盛る、でもいいのですが、よそう=装うとした先人たち。ご飯に対しての敬称だとおもいます。それが出来るか。
  我が家でも電気、ガスでご飯を炊いています。しかし、地震で電気が使えなかったら、どうしたらいいでしょう。昔の人は、電気もガスもなかったから、何とも思わないでしょうが、現代人は今食べるご飯すら途方にくれてしまうでしょう。東海地震がいつ起こってもおかしくないと学者は言います。なのに、超高層マンションなどいまだに建てる神経は私には理解できません。e0116694_15232446.jpg
by jf1ebpkh | 2009-08-21 20:36 | | Comments(0)

旅券2

  一般旅券5年用は紺、10年用は赤。公用は緑、外交は茶色です。一般旅券は本人が各旅券課に出頭して申請、受領することが必要ですが、公用、外交旅券は本人の出頭不要です。官から官への申請であり、申請手数料も不要です。申請の際必要な書類も省略されます。公用も外交も、国家公務員資格で申請されるので、国家公務員の身分を取得した時点で身分証明は不要だから、ということなのだそうです。国家公務員でなくても、JAICAとかの派遣で海外青年協力隊員になれば、公用旅券が交付されます。一般人では、絶対手にすることのできない旅券です。
  一般、外交、公用旅券のすべてを手にした日本人を知っています。雅子さんです。学生の頃は一般旅券。外交官になってからは外交旅券。そして、皇太子妃になってからは公用旅券です。さらに、もしこのまま皇后陛下になったとしたら、旅券なしで海外へ出入国できるのです。国の元首は、旅券を所持しなくても訪問国に入国できるというのが慣習となっているからです。我々も旅券などなく、外国と行き来ができるといいのですが。
by jf1ebpkh | 2009-08-20 20:54 | 仕事 | Comments(0)

旅券1

  今日は衆議院議員の公示日。例年なら、議員先生は官費で海外視察にお出かけしていただろうに、今年は選挙で行けずじまいだったでしょう。もう十年以上も前になりますが、私は議員先生の仕事をしておりました。毎年6月の臨時国会が閉幕する季節になると、自転車で国会まで何回も往復したものです。公用旅券、外交旅券、そしてビザ申請など、一般旅券ならビザなんて取らなくても行けるアメリカなのに、公用とか外交旅券だからいちいちアメリカビザを取らねばならないのです。そのたびに、外務省の儀典課に申請書を書いてもらい、アメリカ大使館に申請、受領と足を運びました。衆議院も参議院も、そのための手数料はくれません。国の支出費目に、手数料というものがないから出せないんだそうです。国は収入印紙という形で手数料を取っているのにね。変でしょ。
  ところで、天皇陛下が海外に行く場合、旅券は必要なのでしょうか。そもそも戸籍がないから旅券が作れない。相手国に入国する場合、一般の人とは違うところから入国するので、審査がないからいらない、などいろいろ回答があるかと思います。また、議員にかかわらず、国家公務員が海外へ渡航する場合、どのような旅券で出るのでしょう。いろいろな場合が想定されますが、面白い事例がいくつかありますので、お話したいと思います。e0116694_1124542.jpg
旅券には、一般、公用、外交の3種類があります。そして、1回の渡航だけに使える1回旅券と、何回でも出入国できる数次旅券があり、数次旅券には表紙に金線で枠があります。現在、一般旅券では1回旅券は通常交付されませんが、公用、外交は1回旅券が普通です。1回旅券は、訪問する国がすべて明記されますので、明記されていない国へ入ることは出来ません。だから、飛行機の都合とか事故、車で入らねばならなくなったことを想定して、訪問先の国以外の周辺の国名も併記しておかねばなりません。ヨーロッパなどは大変です。コレは、外交も公用も同じです。だったら、外務省の外交官はそのたびに旅券を発給しなければならないので、在外の大使館、領事館などに勤務している外交官には外交数次旅券が交付されています。
  また、外交旅券には治外法権が慣習として認められていて、荷物はチェックされません。これは、外交官が極秘文書を持っているからという暗黙の了解が相互にあるから、お互いに検査をしないのですが、北朝鮮の外交官が、偽ドル札を堂々と持ちこめるわけもここにあります。公用旅券もコレに準じますが、外交旅券にはかないません。外交旅券は絶大です。だから、国会議員でもこの旅券を欲しがりますが、議員なら誰にでも交付されるものではありません。外務省の公用として行く場合のみ発給されます。当然外交1回旅券になります。たとえれば、衆議院外務委員会の所属委員が、公務で海外に派遣される場合などです。
  しかし、そのような特権がある旅券ですが、逆に入国される側ではガードをしなければならなくなります。当然ビザが必要となります。日本の一般旅券では、観光目的でしたら現在ほとんどの国へビザなしで入れます。しかし、公用、外交旅券では、ヨーロッパ圏を除いて、台湾やアメリカなど、一般旅券ではなんでもない国が必要とされます。目的が観光でないから当然です。一度、私が担当した衆議院議員さんで、アメリカ大使館から意地悪されたことがあります。公用旅券で一度ビザが発給されたのですが、それは誤りだったから発給を取り消すから旅券を持って来いというのです。発給しない理由は説明しなくても良いことになっているので、何故ダメなのか理由を聞くことは出来ません。結局再度の申請でビザは下りたのですが、その議員さんに対する嫌がらせとしか思えませんでした。議員には言いませんけど。
by jf1ebpkh | 2009-08-18 16:59 | 仕事 | Comments(0)

三渓園

  今月1日から16日まで、横浜本牧の『三渓園』では、横浜開港150年記念で建築物の内部公開をしています。一部の建造物の公開はこれまでにもありましたが、保存されているすべての建築物が一斉に何の予約も要らないで公開するのは初めてだと思います。e0116694_2091521.jpg    江戸初期、旧紀州徳川家の数寄屋風書院造りの別荘建築である「臨春閣」、横浜市の迎賓館でもある原三渓の旧宅「鶴翔閣」、三渓の隠居宅「白雲邸」。山上の「旧燈明寺三重塔」も初層だけですが今日は開いています。「旧東慶寺仏殿」「旧燈明寺本堂」「旧二条城聴秋閣」等々、茶室や重要文化財を含む計15棟が公開されています。
  「鶴翔閣」は明治42年の建物ですが、延床面積950㎡(290坪)もあって個人の住宅建築としては広大な規模です。ここで大観や観山、青邨など、三渓は日本美術院のパトロンとして彼らを育てました。残念なことは、仏殿や楼閣に置かれていただろう仏像や美術品が散逸し、三渓が持っていた膨大な美術品がまったく目にできなかったことです。生糸貿易でこれだけの財産を築いたにもかかわらず、横浜商工会議所の初代会長として関東大震災に遭遇し、自らの事業と横浜のために尽力し、そして近時の大戦です。もったいなくも惜しいことです。
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        「鶴翔閣」客間。廊下より、一段高くなって8畳間が3つ並んでいます。
by jf1ebpkh | 2009-08-13 19:16 | | Comments(0)

おまけ:青州博物館

  泰山から青島へ戻る途中、青州の博物館に寄りました。路程からは、丁度昼食時間にあたっていて、昼食をとるためにこの町に寄ったわけなのですが、ここの博物館は西安の兵馬俑にも劣らない物があるのです。
  この町の青洲博物館には、5世紀から11世紀までここにあった『龍興寺』の仏像が400体も収蔵されているのです。それも、1996年偶然発掘されたもので、仏像を守るために、誰かが故意に埋めたものだったのです。大事にされ、丁寧に埋められたようで、発掘が文革のあとだったために、保存状態も良く、何年か前に日本にも来ました。
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  写真の三尊仏は536年東魏時代のものですが、日本に仏教が初めて伝わってきた頃の仏像です。彩色も美しく残り、中には日本以外では極めて珍しい截金文様があるものもあったそうです。この龍興寺には、慈覚大師円仁(9世紀の人)も立ち寄っていたそうで、中国には、まだまだこういったものがたくさんあるのでしょう。
by jf1ebpkh | 2009-08-11 23:07 | | Comments(0)

泰山 2

  もう少し、泰山の話をさせて下さい。この山は、泰安という街にあります。‘泰山鳴動して、鼠一匹’という格言がありますが、動かないものの代名詞として泰山があって、それが音を立てるほど揺れ動いたにもかかわらず、結果は小さなネズミがチョロっと出てきただけでした、というガッカリの代表みたいなもんですが、泰山が動かない限り、この国は安心だ。国泰民安という言葉からこの地名が生まれています。
  もう一つ、泰山府君という皆の寿命をつかさどっている神様がいます。落語に‘死に神’という噺がありますが、冥界に長いのや短いろうそくがたくさん並んでいて、その1本1本に名前が書いてある。つまり、それがその人の寿命なのだという。泰山府君は、人の寿命をろうそくではなく、帳面につけているらしいんですが、格好はどうも閻魔大王に似ているらしい。小野の篁は毎夜冥界を往復して、あることないことを報告をしていたらしいんですが、それはどっちの神様だったんでしょう。
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by jf1ebpkh | 2009-08-08 23:24 | | Comments(0)