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廃藩置県

   明治維新の廃藩置県について、ちょっと私の認識と違いがありそうなので、‘歴史研究’の旧刊本(第529号:2005.6月号)に、たまたま特集が出ていましたので読んでいた所です。
置県で県庁が置かれた都市は、旧藩主が勤皇派だったか佐幕派だったかで所在地を替えたというのは有名な話ですが、廃藩置県の前に実施された版籍奉還を考えないと、廃藩置県の意義がわからないとありました。
  私としては、たんに版(版図=土地)と籍(戸籍=領民)を幕府政権から、天皇政権に移譲する儀式的なものだろうと理解していたのですが、そうではなくて、これはアメリカ的なユナイテッド・ステイツ・オブ・江戸幕府から、中央集権国家体制にするという革命的なことであるというのです。廃藩置県とは、文字通り藩を廃し、県を置くということですが、つまりは旧体制を形成していた武士階級(藩主も下級武士も)はすべて失職するという大変革なのです。
  そんなこと当たり前じゃないかと、漠然と理解してはおりましたが、考えてみれば現在の国家公務員から地方公務員まで、全員の首を馘るということです。旧体制側から猛烈な反撃があってしかるべきでしょう。戦も無く、農民が作った米を生産も何もしない武士階級が給与としてもらう。寄生している階級が、士農工商の最上段にいることが崩壊するということです。なのに、日本では血も流れず、儀式のように歴史は流れてしまいました。このことに、当時の外国人特派員は驚いています。
  一昨日の大阪市、大阪府の選挙は、まさに平成の廃藩置県のようです。議員は、定数削減や給与の減額を言いますが、誰も自分の首を斬りません。既得権を得ている人々も同じです。明治の人はなぜそれが出来たのか。司馬遼太郎は言います。≪廃藩置県のような無理が通ったのは、幕末以来、日本人が共有していた危機意識のおかげでした≫中略≪そういう一国を覆い尽くしている共通の感情を考えねば廃藩置県は理解できません。だから、無数の被害者たち、それも武力を持った被害者たちが、頭を垂れて黙々とこれに従ったのです。それを思うと、当時の日本人たちに、私は尊敬とともに傷ましささえ感じる≫(『明治という国家』五章より)。今回の選挙は、政治の閉塞感はもとより、政治を生業としている政治家、また汗をかいて稼ぐことを知らず、税金(江戸時代の米)を使うことだけを仕事と心得ている役人に一徹を加えたことにならないでしょうか。
   平成の廃藩置県を、じっと見つめていきたいと思います。
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by JF1EBPKH | 2011-11-29 21:15 | 趣味 | Comments(0)

また一つ歳をとりました

  歳をとると、人間が丸くなる、なんて嘘ですな。私なんか、丸くなるどころか怒りっぽくなってしまって、この間も電車の中で、「携帯ばかり見ていないで、回りを見なさい」と怒鳴ってしまいました。最近は、老いも若きも電車に乗ればすぐ画面を開いて見入ってしまうものだから、入口が詰まってしまいます。皆が、もう一歩中に入ってくれれば、後から来る人が助かるのに。階段でも、道路でも画面を見ているものだから歩くのが遅いこと。後ろから蹴飛ばしたくなります。
  若い頃はこんなにイライラしなかったのに、と思うのは歳をとって、体力も気力も記憶力も落ちて、自分の思い道理にならないからだと思うのです。特に仕事上では、これまで命令調でやってきたことが、定年で立場が逆転し、言うことを利かねばならなくなった人は辛いと思います。幸いにも、私はそれほど偉い立場には成れなかったので、今の仕事も大体一人で完結してしまうので、仕事上では以前と変わりませんが、電車や街の雑踏の中では、携帯の画面だけでなくひどくイライラさせられます。
  歳をとると保守的になるといいますが、私に関してはその通りですネ。これまでの生活を変えたくないのです。生活習慣病なんて嫌な言葉がありますが、今さら変えてどうなると開き直っています。新しいものには興味があったのに、今はアナログ人間と言われようとも、新しい機械は億劫になっています。偏屈、頑固になっているのが自分でも感じるのですが、これも生活習慣病でしょう。
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娘夫婦がシャンパンとケーキを持ってきてくれました。甘辛両党なのです。ありがとう。
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by JF1EBPKH | 2011-11-27 23:02 | 日常 | Comments(0)
   パソコンでサーフィングしてましたら、美空ひばりの‘あなたのすべてを’にあたりました。聴いてみましたら、いまさらですが、やっぱりひばりは上手いなぁ、ともう聴き惚れてしまいました。上手すぎて、歌をいじってますが、それがいかにもひばりの味を出しています。談志もそうでしたが、天才とはそういうものでしょう。談志の場合は、いじって受けないと、ダーッと寝そべってしまいましたが、それはテレと恥ずかしさで、しばしばそれが落語の筋をしくじっていました。ひばりには、それがありません。
  大晦日に紅白を見なくなって久しいですが、今年は紅白でなくて黒白だな、と言った人がいました。例の暴力団との関係です。しかし、歌舞伎とか相撲とか、およそ興行というものには彼らとは縁が深いものがあります。歴史を見れば明らかです。ひばりは、時代が幸いしました。デビューは終戦後間もない頃、絶頂期は映画が全盛期であり、わがままがすべて通ってしまう時代でありました。
   談志は、時代が前後どちらかにずれていたら破門など無かったのではないかと思います。ビートたけしから島田紳助の全盛期でしたら、時代の寵児になれたのではないか、ふとそんなことを思いました。

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   今月は私の産まれた月。夕暮れ時、連れ愛と外食のため‘みなとみらい’のホテルまで出掛けました。予約はしていたものの、回りがガラガラにスイていたらどうしようと思いながら、席に案内されましたら満席でした。不景気なんてどこのはなし、といった風です。日本はどうなっているのでしょう。e0116694_20565184.jpg e0116694_20582092.jpg
 
 
   
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by jf1ebpkh | 2011-11-26 23:20 | 日常 | Comments(0)

江戸ことば

e0116694_1263053.jpg    江戸古地図や、江戸を舞台にした時代小説を読んでいると、日常の生活に「左様でござる」「かたじけない」などと、江戸時代の語り口が出てしまいそうになることがあります。
   江戸日本橋富久町で古着屋を商う総兵衛は、実は家康以来の隠れ旗本。佐伯泰英著『古着屋総兵衛始末』は、柳沢吉保一派と闘う町人。必殺仕掛人のようなおもしろさがあります。一方、上田秀人著『お髭番承り候』は、四代将軍家綱のお小姓深室賢治郎は、そのお役柄が将軍の膚に唯一刃物を当てられるというところから、五代将軍を狙う綱吉と綱重一派の双方から家綱暗殺の誘惑を受け、跡目相続の権力争いから大奥や老中が絡んで、江戸城中や街の様子がそれこそ見て来たように描かれて、飽きるところがありません。それぞれの人物設定がよいのでしょう。映画やテレビの連載ものにしても十分耐えられます。忙しさで、頭の働きを休めたい時は、連れ合いが読んでしまった時代小説を読んでいるのですが、結構楽しめます。
   広辞苑によれば、‘かたじけない’とは、①恥ずかしい、面目ない。②もったいない。③恵みを受けてありがたい、と出ています。感覚的には、ありがとうより、よりへりくだった言い方に思えて、かたじけないという言葉を現代にも使って見たく思います。
 

首を斬られにきたの御番所―縮尻鏡三郎 (文春文庫)

佐藤 雅美 / 文藝春秋


公家さま同心 飛鳥業平 (コスミック・時代文庫)

早見 俊 / コスミック出版


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by jf1ebpkh | 2011-11-25 23:40 | 日常 | Comments(0)

談志の『現代落語論』

  談志が死んだ。反対から読んでも、ダンシガシンダ。回文といいます。談志は自身の著『現代落語論』の中で、自分のことをこう言っているので、失礼にはあたらないでしょう。「なーんだ、来たのは女かと思ったらダンシか」など、この落語論の中にはギャグがけっこう出てきます。師匠小さんと真打ち制度のことで破門になり、私が寄席に行けるような歳ごろには、もう落語の定席には出してもらえませんでした。それでも、TVで歌番組の司会をやったり、‘笑点’に名前を換える前の‘金曜夜席’は毎回見ておりました。大喜利が普通名詞となったのも、この番組からでしょう。
  古典落語の噺をしているさなかに、「日大なんかは株式会社にして、授業料払った学生から卒業証書わたしてやりゃいいんだ」なんて、現代への毒舌や皮肉を言ってましたが、今の大学は皆そんな風になってしまっています。40年も前にこんなこと言っていたのですから、毒舌にあらず、真理を突いています。ライバルの志ん朝を愛し、先代の三平師匠を評価していました。『現代落語論』は今でもそのまま通用します。 自分で命名した戒名“立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)”  合掌。

現代落語論 (三一新書 507)

立川 談志 / 三一書房


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by JF1EBPKH | 2011-11-23 21:03 | | Comments(0)
   今回の奈良京都行の携行本は、吉村昭著『落日の宴』(講談社文庫)。前々から読みたかった本でしたが、絶版にでもなったのか、なかなか手に入らず、神田の古本市でようやく見つけた本です。文庫本でも500頁を超す分量なので、結構読みでがありましたが、そろそろ終盤に入っておりました。
    ある人によれば、明治の大久保利通に匹敵する官吏という人もおり、幕末にロシア、アメリカとの開国交渉に直接係わった人であり、日本が植民地化されなかったのはこの人の交渉力、洞察力によるものが大きいと言われてはいますが、私自身ほとんど知らない人でした。吉村昭さんの著作は感情がはいらず、淡々と事実関係を述べていくので、報告書を読んでいくようですが、伝記はその方が望ましい。阿部正弘、堀田正睦、井伊直弼と政治の中枢は代わって行きますが、幕府の勘定方の下役から勘定奉行の首座にまで出世していくのは氏の努力の賜物そのものでしょうが、今TPP問題で政府もお役人も頼りにならず、川路聖謨のような官吏が出て来てほしいものです。

落日の宴―勘定奉行川路聖謨 (講談社文庫)

吉村 昭 / 講談社


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by jf1ebpkh | 2011-11-21 21:11 | | Comments(0)

キャベツ

e0116694_1744109.jpg 先週末は奈良へ行っていたため、畑は2週間ぶりです。昨日は強風と雨でしたが、気になって出掛けてみました。ブロッコリーは倒れているし、葉物類は水浸しで、もう地面はグチャグチャ。スティックブロッコリーは、スティックどころかブロッコリーそのものみたいに育っているし、1日でも早く採っておかないと花が咲き、頭立ちしそうでした。
   今日は午前中にベランダの掃除をし、午後から畑と決めていました。強風で、せっかく咲き始めたサザンカの鉢が落ちて割れ、枯葉や土とでえらいことになっています。土から上げておいた水仙やチューリップが、球根からもう芽を出してましたので急いで植えつけたり、この時期の2週間は結構大事な時期だったようです。e0116694_1815053.jpg

    午後の畑は日差しも暖かく、風が気持ち良く感じられます。辛み大根は聖護院かぶらのようだし、二十日大根は四十日大根のように育っています。今年の秋は暖かいのですねぇ。レース状態だったキャベツは、八百屋さんに卸せそうなくらい綺麗に出来てますし、タカナは間引き菜がたくさん採れました。ミニトマトもまだ成っていて、雨で割れてはいますが果物のように甘いです。完全無農薬畑なので、タカナもトマトも、キャベツだって皆その場で生で味見ができます。今晩は、タカナの煮びたしと、キャベツの素炒め、スティックブロッコリーだな。
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by JF1EBPKH | 2011-11-20 18:16 | 晴耕 | Comments(0)
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   第4回目の今日は、永田町。切絵図は尾張屋版「外桜田」。日比谷・虎ノ門から、赤坂・四谷です。霞が関・永田町界隈といってもよいでしょう。もう20年も前になりますが、虎ノ門支店、通産省内支店で仕事をしてましたので、ここいらはかってのホームグラウンドみたいなものです。今の官庁街は、かっての大名屋敷跡。誰が住んでいたのかが今日のテーマです。警視庁は、大分杵築藩松平市正(いちのかみ)と、戸田淡路守。
総務省と国土交通省は、広島の浅野家。外務省は、福岡の黒田家。財務省が、宮津松平で、文部科学省は、内藤能登守。今、日比谷公園になっているところはかっての長州萩藩の上屋敷。長州は、幕末の禁門の変を起こして朝敵になってしまったため、幕府は即刻ここを召し上げ、更地にしてしまいます。のちに明治政府は、更地のここを日本最初の西洋式公園にします。ちなみに、鹿鳴館は薩摩藩中屋敷跡。鹿鳴館跡の碑は、帝国ホテルの隣地、大和生命館の前庭にあったかと思います。
   江戸幕府は、大名や旗本、御家人の屋敷を無賃で貸していましたが、役宅や家格によって屋敷を一方的に転居させる権限を持っていました。赤穂の浅野藩などお家断絶となれば、領地はもちろん、江戸の家屋敷も没収になります。桜田門の井伊家上屋敷も、さかのぼれば加藤清正の屋敷でした。井伊家上屋敷の跡は現在憲政記念館と議事堂前の公園になっていますが、戦前はここに陸軍省と参謀本部があって、三宅坂といえば陸軍の代名詞になっていました。この公園の中に、日本の近代地図の基本、日本水準原点があります。現在は国土地理院が地図をつくっていますが、戦前は陸軍の陸地測量部が地図をつくっていましたので、陸軍の名残です。その三宅坂ですが、ここには三河田原藩三宅土佐守(備前守)の上屋敷があって、あの渡辺崋山はここで産まれています。現在国立劇場と最高裁判所があるところです。
   今日は結構な雨降りの中でしたが、この講座は楽しめます。忘れていた事柄を想い出させてくれますし、また知らなかったことを教えてもらえます。最近は物忘れが激しくて、特に固有名詞が出てこないのです。あと1回で終わってしまうのが残念です。
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by JF1EBPKH | 2011-11-19 22:27 | 趣味 | Comments(0)

東大寺ミュージアム

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 ご開扉するか、しないか決まっていなかった秘仏‘執金剛神’像は、今年も来年もご開扉なしになりました。残念な気もしますが、どうせ今年は行かないんだからと諦めていました。
   新しくオープンした『東大寺ミュージアム』に入ってみましたが、不空羂索観音と日光、月光菩薩が展示され、奈良博に寄託されていた‘誕生仏’とその盤、西大門に懸けられていた扁額などがあって、これがという歓心を得るようなものは展示されていません。500円も取って少しガッカリしていたところに、東博で3,500円で売っていた海洋堂製の誕生仏と月光菩薩のフィギャアが、開館記念とかで2,000円で売っているのです。これにはさらにガッカリ。あの時は2つ7,000円で買っていたのですぞ。どうしてくれる、ガルルーと思ってはみたものの、どうしようもありません。ダブルがっかりです。
   今回は大仏殿もお参りせず、大仏殿裏のイチョウはどうかと見に行ったのですが、ここもまだ早かったようで、それでもスケッチをしている人がいました。まっすぐ奥は正倉院ですが、ここも修復中で見ることができません。早々に引き上げて、興福寺の北円堂に向かいました。
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by jf1ebpkh | 2011-11-16 22:52 | 趣味 | Comments(0)

蘭奢待(らんじゃたい)

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  仕事で来ているとはいえ、正倉院展が開かれています。特に今回は‘蘭闍待’が出ています。過去に2回見た記憶があるのですが、今回見ておかないと、もう二度とお目にかかれないかもしれません。…ということで。
  9時開場ですが、30分前だったら待たないだろうと奈良博に向かったのですが、もうかなり長い列ができていました。今朝の読売新聞では、今回の正倉院展入場者は約24万人とありましたが、歴代3位の入館者だったそうです。今回は、香木に係わる出展がいくつかあって、‘沈香把鞘金銀装刀子’(じんこうのつかさやきんぎんそうのとうす)、‘沈香末塗経筒’(じんこうまつぬりのきょうづつ)や、防虫香等々。読むのも難しい字が並びますが、この経筒は丁子が漆で固められ、沈香の粉末が塗られているというもの。刀子は、長さが10cmくらいの刀ですが、鞘が香木で出来ているというもの。なんとまぁ、恐れ入ってしまいます。
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  ‘蘭奢待’はガラスケースの中にあって、入口から第一会場の中央に置かれていました。長さ156cm、重さ11.6kg。空洞ですが、電信柱くらいの太さがあります。足利義政、信長、明治天皇などが切り取ったという伝説がありますが、もっとたくさんの人が切り取った(正倉院内部の関係者が一番多かったそうですが)ようです。義政、信長、明治天皇が切り取った箇所には附箋が付けてありますが、誰が付けたのかは不明。過去に見た時は、この附箋に感動したおぼえがあります。焚いたらどんな香りがするのでしょうか。京都の松栄堂さんや、老舗の香木店には、過去に切り取られた蘭奢待の切れっ端が伝来しているそうですが、もったいなくて、焚けません。会場の外に、読売新聞社の出店があって、日本香道と共同で蘭奢待と同じ種類の伽羅(分析して、たぶん?という香り)を嗅がせてくれていました。
   正倉院は、天平時代のタイムカプセルそのものですが、保存状態がとても良いです。特に日本の文化にあまりない皮革工芸品は、ツヤツヤとして、昨日作ったのかと思わせるほどの状態の良い物が数多くあります。何年か前に、馬具関係のものが多く出展されてことがありましたが、模造品かと思ったほど新しく感じました。皮革は腐るし、湿気を含みやすいので、すぐ型崩れしてしまいます。かの時代は、騎馬民族の後裔達がたくさんいたのでしょう。工房や工人もたくさん居たに違いありません。繊維類は、塵や埃になっているものもかなりあるそうですが、正倉院御物はとても千二百年前のものとは思えないものばっかりです。  
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by jf1ebpkh | 2011-11-15 22:19 | 趣味 | Comments(0)