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<   2016年 09月 ( 6 )   > この月の画像一覧

夏の終わり

e0116694_2201129.jpg  今年の9月は、台風もいっぱい来たし、雨ばっかりでしたねぇ。気象庁の統計でも、今月の日照時間は数時間しかなかったんだそうです。北海道のタマネギもジャガイモも水に浸かってしまって、それでなくても病気で品薄のタマネギは、ほんと高値ですね。中くらいのタマネギが1個百円もするなんて、信じられません。我が家も今年のタマネギはそろそろ終わってしまいそうなので、気になります。ジャガイモは、あと半年は大丈夫ですけど、給食のカレーはどうするんでしょう。
  我が菜園も、トマトは先週に。ナスは昨日に全部抜いてしまいました。ナス自体は元気なのですが、花が咲いていないのです。ここ2週間ほどは気温も低かったですから、秋なすは諦めました。南京豆、ゴマなど、これからガンガンに晴れてもらわないと、収穫前にカビてしまいます。雨が良いのはサトイモだけですね。サツマイモだって、湿気は大嫌いですから。
  なので、今日はタマネギの種まきをしました。いつもは11月頃に苗を買ってきて植えるのですが、今年は種から。苗は高いし、すぐ植えないと苗が溶けてしまうので、気がきじゃありません。種からなら、少しほっておいても安心です。来月は結構出張やら、予定を入れているので、そんなに時間がとれそうもないのです。もうダブルブッキングが2件も判明しています。
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by JF1EBPKH | 2016-09-25 22:54 | 晴耕 | Comments(0)

皇国地誌

e0116694_20555837.jpg  明治新政府は、近代統一国家の自覚のもとに、国内の町村の実態を把握するため、当時の村の沿革、地味、人口、社寺、産業など、報告項目と書き方の書式を示し、太政官正院より各県知事に依命しています。それは、まさに奈良時代の『風土記』を範としているようで、王政復古そのもののようでもあります。これ以前にも、新政府は文部省が教育のために、大蔵省は徴税のために、また陸軍省は内戦のために同様な調査報告を求めていたのでしたが、この陸軍省が内戦のためにというのは、九州を筆頭に佐賀の乱や西南の役など、まだまだ安定したものでなかったことが窺えて少し可笑しい。
  この布告は明治5年9月24日に太政官正院地誌課より発せられますが、まとめられる前に関東大震災によって焼失し、残ったものも今次の大戦の空襲などですべてが灰に帰してしまったのでした。しかし、その報告原本ともいえるものが各県に一部残存していることがわかり、神奈川県では県の図書館協会が中心となって、平成3年に活字で復刻されたものがこれです。このような基礎資料といえるものがあるなんて、先月(8月)に神奈川県立公文書館での講演で初めて知りまして、正直私は驚いております。神奈川県立図書館ではこれに先立って、1963年に『神奈川県皇国地誌残稿』上巻を。翌年に下巻を発刊しておりますが、写真の平成3年刊の『相模国鎌倉郡村誌』の冒頭に、我が瀬谷村が出ているのです。沿革として、往古ノ事跡詳ナラズ永禄年間北条氏政ノ臣松波内蔵ノ采地ニ属ス其後天正十八年徳川氏ノ所領ニ移リ云々とあります。戸数:本籍 平民三百四十九戸 寄留 平民八戸 社六戸 寺七戸 総計三百七十戸 人員:本籍 平民男千二十四人 同女千三十三人 とあり、馬の頭数や、人力車の数、荷車の数まで数えています。河川や田畑の様子、土壌地味、村内の橋、道路、学校、会所まで悉皆記録です。A5版、700頁におよんでいます。報告は明治十二年、県知事名です。いやぁ、近隣の村もことごとくこの調子です。読みでがあります。
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by JF1EBPKH | 2016-09-22 22:29 | | Comments(0)

講演:中島誠之助

ニセモノ師たち (講談社文庫)

中島 誠之助 / 講談社


 「開運何でも鑑定団」の中島誠之助さんの講演が近くでありましたので、出掛けて行きました。氏の業界でのうわさ話や、著作のいくつかを読んではいますが、実際はどんな人なのか形骸に触れておくのも一興かと。
  御年78歳。鑑定団は22年目になるのだそうです。古伊万里をブームに乗せ、店はたたんでしまったものの、テレビでの影響力は強く、自分が付けた価格が業界の売買価格になるのをいまだに恐れているという話でしたが、鑑定団が始まった頃の業界からのパッシングはかなりのものだったそう。
  お話はあちこちに飛びましたが、飽きさせません。鑑定の要諦というより、氏の人生観、哲学でしたが、一芸に秀でた方の話は傾聴に値します。でも、氏の専売になってしまった感のある「いい仕事してますねぇ」は、もともと職人たちのごまかしのないプライド仕事を言ったもの。専売にしてほしくないし、二十数年続いている鑑定団の仕事の方が、違う意味で氏のいい仕事だったに違いありません。「いい仕事だねぇ」と掛け声をかければよかったかなぁ。
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by JF1EBPKH | 2016-09-21 22:02 | 日常 | Comments(0)

駄っ作ない"獺祭"

白玉の歯 にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり
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今年はやはり陽気が変です。まだ9月の半ばだというのに、秋の気配が濃厚です。蝉の声が急速に聞こえなくなり、夜は虫の声が盛んです。花もしかり。オミナエシ、フジバカマなど、今年は咲かずにいってしまいそうです。お天道様ょり、台風ばかりの空模様で、どうしたことでしょう。
  都は豊洲の魚市場の問題で大騒ぎ。盛り土すべきところに盛り土がなく、盛り土をしなくてもいいところに盛り土をして、役人は説明もせず責任も取らず。前の知事の金銭問題さえ、誰も追及しない。都民の税金が、恣意的に使われてしまったのですよ。この役所には、内部告発する者さえいないのでしょうか。いい気なもんだ。オリンピックなんて、さっさと返上したほうがよいでしょう。東京は、昔も返上したことがあるのだから、またか、で済んでしまうでしょう。早いほうがいい。
  涼しくなって、日本酒が美味しい季節になりました。"獺祭"という地酒がありますが、以前飲んだ時はそれほどとは思いませんでしたが、連れ愛が墓参りに行った帰りに毎度のお土産ですが、下関のウニや角島の塩辛を肴に飲んでみましたら、双方の味がとても美味しく感じられたのです。やはり地場の相性というものでしょう。ちょっと"獺祭"を見直しました。


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by JF1EBPKH | 2016-09-18 20:59 | 日常 | Comments(0)

瀬谷地図クラブ 4

 毎週、第一・第二水曜日は地図クラブの例会があります。朝9時半から12時まで。今は来月の区役所で行うパネル展示の準備です。先週は、パネルに貼る地図や写真のコピー取り。今日は、爆弾が実際に落ちた家へお伺いして聞き取り調査です。パネル展示のテーマが、『戦時下の瀬谷』(仮称)なので、私は自分が中学生の頃まであった(遊んでいた)防空壕(と我々は言ってましたが、横浜市の記録では「旧日本海軍通信設備格納所」となっています)のことを話しましたら、それも追加、ということになり、横浜市史編集所や神奈川県公文書館に行って確認の文献を探したり、近所にこの防空壕の事を覚えているだろうと思う人がいるご自宅へ伺ったりしているのですが、なかなか思うような回答が得られません。何しろ、その防空壕(3つありました)の上には、今はもう住宅が一杯建てられていて、ここだという推定すら難しくなっています。まさか、その上に家を建てたと思しきご自宅へ訊きに行くわけにも参りません。同級生すら、周りにはいなくなっているのです。その地面を開発した業者、地べたを持っていた地主など、登記所へ行けば手がかりが得られそうですが、まだそこまで行けてません。ほかにも、空襲で焼けた地域や、旧海軍の補給所の内部事情など、裏づけを調べておかねばならない事がたくさんあります。瀬谷駅から補給所まで引込み線が引かれ、充電池で走る機関車もあったそうです(蒸気機関車は火をたくので、爆弾を運搬する貨物輸送の機関車は、電池で走らせていた)。調べていて、新たなことを知るのはとても楽しい。尋ねていって、何人もの人から楽しいでしょうと言われております。尋ねる人は、皆私の年上ですし、毎日暇なのかもしれません。昔のことを聞き歩いていて、楽しそうに見えるのかもしれません。いろんなことを知るたびに、また次の疑問が出てきて、また新しいことを知る。やっぱり楽しいなぁ。
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by JF1EBPKH | 2016-09-15 14:41 | 趣味 | Comments(0)

羽田見送り

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  昨夜は、午前零時半発のエミレーツ航空にて、イタリア・ファッション研修に行く大学生50名様の見送りがありました。集合は、22時にしましたので、遅刻者もなく、全員定刻には集合し終わっております。 私が新入社員の頃、成田はまだなかったので、ヨーロッパ便は北回りのアンカレッジ経由の直行便か、途中4・5回給油のために経由していく南回り便がありました。北回り便はすべて22時台の出発でしたので、支店スタッフが添乗する時は支店の者が見送りと手伝いを兼ねて、渋谷の支店から羽田までワイワイと行ったものでした。チェックインも手作業で、席割り、荷札付けなどは旅行代理店の仕事。さらに、出入国カードの確認、外貨交換の証明書(当時、持ち出しの外貨はUS$で1,500ドルでしたので、旅行代理店が現地で支払うホテル代やバス・ガイド・食事代などの経費を引いた残りの外貨枠からしかお遣い分の持ち出しが出来ませんでした)もらい、さらに種痘など検疫の証明書に保健所の公印がきちんと押されているかどうか等々、海外に出る際にはいろいろと確認事項が必要でした。書類もいっぱいあるし、旅券は大事なものでしたから、立派な旅券ホルダーとか、ショルダーバッグまでお渡ししていました。 今はどうでしょう。海外旅行なんて日常の一部となって、検疫や外貨交換の証明書など、説明しても笑われそうです。航空券も電子記録になってe-チケットなんて言っていますが、あれは控えなので、なくても乗れます。しかし、電子記録なので、厳密です、ハネムーンでも、旅券のお名前(名字)の綴りが違っていれば、機械は夫婦とは見てくれません。席を並べるには、ひと手間かかってしまいます(=お金がかかります)。荷物の重量も、団体なら、一人当たり20kgX参加人員の枠の中で融通がききましたが、電子チケットは、たとえ夫婦でも、どちらかが20kgえお超えていれば、夫婦で足して40kg以内でも、厳密には超過荷物料金が取られます。融通がきかないのです。名前の入力間違えでも、昔は修正が効きましたが、今は全く駄目です。間違った方を取り消し(取消料が発生します)、新たに予約・購入することになります。団体料金で予約がされていても、ここで個人料金になってしまいます。ヨーロッパ線なら、数十万円の差があります。旅券記載の名前の綴りは、一字でもおろそかにできません。  また、現地でも大きな違いがあります。昔は添乗員がホテルで明日の日程など、大きな紙に予定を書いてツアーデスクなどに掲示していました。今は、こんなことする添乗員はマレでしょう。写メです。添乗員の緊急連絡電話番号、明日の予定、ホテルの周りの地図など、すべて写メしてもらい、スマホが必需品になっています。しおりまで、電子メールにするツアーもあります。お客様が見たか、見ていないかまで確認できてしまいます。便利だと言えばそうですが、私はついていけません。これで、添乗員が楽になったとも思いません。昔はなかった仕事が、新たに生まれています。
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by JF1EBPKH | 2016-09-11 14:20 | 仕事 | Comments(0)