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   この下見ですが、出発地は相鉄線さがみの駅。出発時間も本番と同じ朝9時半に合わせました。当初は、我々だけで下見をする予定でしたが、南端点は住宅地の中ですので、駅から直行すると行くまでに話を繋げられるものがほとんどありません。少し西側に回れば、戦前の海軍工廠や陸軍士官学校など、瀬谷と同じような軍関係の施設があり(終戦時米軍にすぐ接収されて座間キャンプ地となりますが)、防空壕とか、湧水水道などがあって、瀬谷とも関連する案内できるところが増えそうなので、私が市の文化財課にメールで照会し、ならば"座間ふるさとガイドの会"を紹介しましょうということで、地元のガイドの会へ同行を依頼しておりました。そのガイドさんと駅頭で打ち合わせをし、当方の趣旨をご説明して、さて出発です。  しかし、道しるべやいろいろな表示板、道標などがあるたびに歩みが止まってしまうので、なかなか進みません。500mほどに30分かかっております。今日中に終わるかな、夕方から雨らしいのに、と当方は気をもみながら先にとせっつきます。そして、歩きながらいろいろな質問を投げかけていきますが、趣旨がうまくご理解いただいているのか、不安もあります。仲介者として。  1kmほどの地点で、トイレ休憩も兼ねた公民館に挨拶。本番ではトイレだけお借りするのですから、失礼のないようにお願いします。当地に来て、ガイドさんの話を聞いて知ったのですが、座間市は公営水道のほとんどを地元で湧き出る水を水道水にしているそうで、万が一のために県から15%を保険代わりに導入しているとのこと。軍(米軍も)ここに工廠や学校を設置したのも、水に不自由しないからだったかもしれません。座間市内には河川が2本しかないようですが、流れは綺麗で、蛍が生息できる水質だそうです。戦後、日産自動車の大工場が出来て地下水を大量に使っていたため、大分水脈が細くなってしまったようですが、田んぼがない相模野台地は、降った雨を大量に地下に蓄えていたのでしょう。戦中の防空壕の跡も復元されて、終戦時の対B29戦に備えた「雷電」戦闘機もここで作られ、台湾からたくさん工員をここに集めたそうです。知らないことが、たくさんあります。  さてお昼も過ぎてしまいましたが、まだ南端点へ着きません。皆を急がせて、南端点へ。私は初めてでしたが、いろいろな人のブログの通り、民家(お医者さんの家)の敷地の一角にそれはありました。何とも貧弱な一等三角点です。ここから日本の近代地図が描かれていったのだ、とはとても思えません。行ってみてガッカリという観光のシンボルはたくさんありますが、ここも負けていません。ここを基準点に決めたのは、当時の日本陸軍参謀本部陸地測量部ですよ。台湾、朝鮮、樺太から中国大陸、マレー半島まで測量して地図を作っていった日本陸軍ですよ、元は。地図事業を引き継いだ内務省、建設省はこの史跡とも言える場所を忘れていたのです。民間人の敷地1㎡にも満たない所なのに、保全すらしていません。地元の市も知らなかったのでしょうね。高校中学の地理の先生もいたでしょうに、ガッカリ史跡です。そのあと訪ねた中間点も同じような状況というより、道路上のマンホールでしかありません。マンホール脇に、高さ30cmほどの安っぽい国土地理院の名称が欠かれたプラスチック標識があるだけ。これじゃ、皆様来てくれないかも。e0116694_23252656.jpge0116694_22004989.jpgv>

by JF1EBPKH | 2018-11-29 21:52 | Comments(0)
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  来月早々に、我々が会合の会場にしている南瀬谷小学校コミュニティスクールが主催して、講演と現地散策の企画がございます。今回は、"地図の原点はすぐそばにあった"として、相模野基線を見に行こうというもの。ご存じない方がほとんどだと思いますが、明治時代、日本が近代地図を作成するにあたって、国土を測量をする基準の基本をどこに置くかという基本の基本の線が引かれたのが相模野基線ということです。三角点の第一号ということですが、三角点一個では基準になりませんので、最低2つ必要になります。その2つの点がいづれも神奈川県にあって、南端が座間市。北端が相模原市にあります。それを見に行こうというわけですが、この役割の重要さを日本国民はもとより、地元の人もほとんど知らないのです。すぐ近くにあるのに、この存在を知らないのは国の教育行政の怠慢だと私は思うのですが、㈶日本土木学会が2010年に日本の土木遺産として指定するまで、ほっておかれた遺産です。
  今回はその下見です。しかし、この基線が引かれた明治15年当時、ここは山や樹木など何もない見通しの素晴らしく良い測量するには最適な平地として選ばれただけに、何かを物語るものが何もないのです。あるのは半世紀後に造られる日本軍の施設。海軍工廠や陸軍士官学校など。でも、歩くのにはちょっと方角が違います。せっかく参加される方に退屈させないようなもの、所はないかと、今日は座間市のふるさとガイドの方にご協力をいただいて下見歩きです。
e0116694_22195221.jpg明治15年2月 神奈川縣相模國髙座郡鵜野森村外四箇村 1/25000 迅速図
by JF1EBPKH | 2018-11-28 21:21 | 趣味 | Comments(0)

誕生日

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by JF1EBPKH | 2018-11-27 21:10 | 日常 | Comments(0)

奈良一日フリー切符

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 今回、4日目の自主研修では奈良交通の一日フリー切符を使いました。ホテルのあるJR奈良駅前から東大寺、東大寺を廻って今小路からJR駅へ戻ってホテルに預けた荷物を取って近鉄奈良駅への3回しか乗らなかったのですが、この方が安いのです。薬師寺や唐招提寺へも行けるのですが、今回は今井町へ行く予定なので使えません。これまでなら、JR奈良駅⇔東大寺など、3~4回往復しても何ともなかったのに、今回は左足の調子が悪く、今井町で歩けなくなったら困るからと大事を取りました。
  このフリー切符を買いにJR奈良駅前の奈良交通のバスターミナルに行ったのですが、案内所が見つからず、バス乗り場にいる奈良交通の案内人の方にフリー切符はどこで売っているのか尋ねましたら、JR奈良駅構内の2階の案内所へ行って下さい、とのこと。足が痛かったので、その時は100mも歩くのが嫌だったので、駅前に販売しているところはないのかと再度尋ねましたが、JR駅に行ってくれとのことです。京都駅では、バス乗り場の一角に大きな案内所があって、乗り場と案内所が目と鼻の先にあります。なのにここは、と少なからず呆れてしまいました。JR奈良駅を利用して奈良市内を観光する人がどれだけいるというのでしょう。1時間に2本程度しか電車は来ないのですよJRは。観光客は便の良い近鉄で来るでしょうし、バス乗り場でもないJR奈良駅の2階で案内所ですと。バス乗り場で目を凝らしても、案内所はないのです。お客様本位には全くなっていませんね。
  奈良の観光大使を務めていた某ホテルの総支配人さんは、奈良は家業がほぼほぼだったらええんですわ。京都のワコールや任天堂のように、外に出て行こうとはしないで、ほぼほぼ生業が成り立っていれば可なんですと。奈良遷都1350年の節目の年度にも、奈良市役所、奈良県庁も幟を下げませんでしたし、公選したゆるきゃらの"セントクン"の応援どころか、セントの上をいく"マントクン"とかほかのゆるキャラを許可して。せっかくマリオットホテルが新大宮に進出しようとしていたのに、手続きが遅く結局工期が間に合わなくなって、マリオットは撤退。生業が成り立つどころか、興福寺旧境内の旅館"大仏館"は大阪の不動産屋に買われて駐車場に。猿沢の池畔の老舗"魚佐旅館"は廃業。JR奈良駅前に"三井ガーデンホテル"が建つときは、地元の宿泊業に影響が大きいから修学旅行生はとらないと契約させながら、駅前の"いろは旅館"はスーパーホテルになり、JR奈良駅横の"奈良国際ホテル"も廃業してしまいました。家業も成り立たない地盤になっているのです。行政と民間がチグハグなのです。
  自称奈良応援団として、奈良ファンを一人でも増やそうとしているのに、修学旅行生を受け入れることが出来る宿は今何軒あるでしょう。食事場所しかり。奈良市内、法隆寺も薬師寺も、お奨めできる宿もレストランもありません。見せたいところは山ほどあるのに、世界でここだけというものはたくさんあるのに、京都から毎日通ってくるのは面倒ですよね。でもねぇ、現状は宿も食事も京都で、という人が圧倒的に多いのです。
by JF1EBPKH | 2018-11-26 19:13 | | Comments(0)

道長 千年後の満月

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  京都から帰る新幹線から、とても美しい満月を観ることが出来ました。写真を撮ろうと思いましたが、あいにくカメラの電池が切れていて、残念。
  翌日のニュース記事によれば、何と、昨日(11/23=旧暦十月十六日)の満月は、道長が詠んだ「この世をば わが世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思えば」の満月から、ちょうど千年目の満月だったというのです。平安の貴族藤原実資(さねすけ)の日記『小右記』や、道長自身の日記『御堂関白記』によると、道長はこの歌を寛仁二(1018)年十月十六日に詠んだそうで、兵庫の明石市立天文科学館の井上毅館長が調べてみると、この日は確かに満月だったということです(この稿、朝日新聞デジタル11/23配信より)。
  道長はこの歌を詠んだ後で、「奢った歌かと思うかもしれないが、……」と皆が居並ぶ満座で語ったということですが、この世はすべて自分が思うままにできるのだが、あの世のことまでは如何ともし難い、と末法が近づく世の中をひどく怖れていた風が私には感じられます。満月のあとは欠けるばかり。自分も、一族も……と、なすすべがない自らの力の限界、人間には及ばないものがあるという諦念も感じられます。
   その子頼通は、この道長から譲られた別荘を寺院に替え、平等院とするわけですが、竣工するのはまさに末法が始まるといわれた永承七(1052)年。のちに頼通はこの鳳凰堂で阿弥陀仏様から導かれた五色の糸を握り絞めながら息を引き取ります。
   私が鳳凰堂に初めて入ったのは中学三年でしたが、修学旅行で訪れた鳳凰堂で感激し、翌年の夏アルバイトで得たお金で一週間京都・奈良の古社寺を巡りました。鳳凰堂は今のように拝観の制限などはなく、何時間居ても誰にもとがめられませんでした。眠たいような眼をした定朝の阿弥陀様。周りに飛び交う雲中供養菩薩たち。真夏の暑い日差しの中を毎日歩いていた私には、涼しい風が吹き抜けていくお堂の中で、私はそれこそ極楽にいるような思いをしていました。頼通が糸を握っていたと同じ空間にいることが実感できたからです。
   今年も、お堂に入る前に大学教授と鳳凰堂の話をしながら、自分の鳳凰堂への想い出を語っていました。この教授は、〈鳳翔館〉の展示をデザインした方です。雲中供養菩薩は展示替えをしないんですかとか、いろいろ話題は尽きないのですが、同じ時代に同じような思いをしていらしたことが判りました。来年もまたこの研修旅行は実施されるでしょうが、私はたぶん同行出来ないでしょう。でも、今の学生の中から、一人でも古美術に興味を持ってくれる学生が出てくることを願っています。
※冒頭の満月写真は合成です。
by JF1EBPKH | 2018-11-25 21:23 | | Comments(0)

今井町

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  大学の研修は3日間で終了して現地解散のため、私はもう1泊して前から行ってみたかった今井町へ行くことにしていました。午前中に水谷茶屋を見に、春日大社から東大寺を一周して、大和八木西口駅へ。そこから歩いて10分ほどで重要伝統的建造物群保存地区の今井町に着きます。東西約600m、南北約300m、現在でもここに約500棟の町屋が残されています。環濠集落と呼ばれていますが、自営上の掘りが造られたのは戦国時代。一向宗本願寺の御坊が出来てからだというのです。相手は信長。結局は信長に降参し、赦免の朱印状で自治権を得たことが始まりです。経済の裏付けは米、肥料、木材などの商業でした。海の堺、陸の今井と言われてますが、堺にそそぐ大和川の支流飛鳥川が今井町のすぐ脇に流れています。なるほど。e0116694_22173623.jpge0116694_22200752.jpg  しかし、街の中ですれ違う人はほとんどいません。居ても、高齢者ばかり。小中学校は、この寺内町にはなさそうです(お堀の外にあります)。でも、重要文化財の民家は10棟もあるのです。中でも昭和32年に重文指定された惣名主今西家は、城塞のような造りです。いづれも予約すれば内部を見学させてくれますが、今回は時間がありません。今井町のすぐ隣には八木町がありますが、ここは街道の交差路。登録有形文化財から、近世、近代の歴史をうかがわせる建物や町屋が300件残ります。近世の旅籠も現在再現修復中とか。自治体の橿原市は町家を修復して貸したり、体験生活をさせてくれていますが、店を開いても永く続かないのだとか。しかし、こういった町は全国的に無くなっていくのだから、今存続を続けて欲しいと思います。町全体が重要建造物群なんてところは、もう数えるほどしかないいのだから。e0116694_23285409.jpg      この写真は、明治時代に彼の関野貞博士が設計した奈良県の勧業館(現奈良国立博物館別館仏像資料研究センター)ですが、冒頭の建物は今井町の旧町役場で、それ以前は社会教育施設でした。現在は、今井町まちなみ交流センター『華甍』(はないらか)として、今井町見学の案内所として公開しています。そっくりです。同じ博士の設計かな?
by JF1EBPKH | 2018-11-24 22:21 | | Comments(0)

今朝の水谷茶屋

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  今朝の奈良・"水谷茶屋"です。まだ9時前ですので、開店していませんが、周りの紅葉はまだまだのようです。手向山神社、東大寺の講堂跡裏、鏡池、大湯屋等等の大イチョウは、いずれも葉が散っているのに、カエデの紅葉が今二つでしょうか。毎年この水谷茶屋で定点観察をしていますが、今年が今までで一番青い葉かもしれません。しかし、鎌倉や京都のように、潮風や真夏の熱気に焼かれていないだけ、まだ良いかもしれません。 e0116694_12080500.jpg              
e0116694_12055063.jpg左:東大寺講堂跡 
右:手向山神社隣接地             
by JF1EBPKH | 2018-11-23 09:07 | | Comments(0)

修復中のところばっかし

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    今朝の斑鳩法隆寺です。小雨🌂模様の天気予報でしたが、どうにか傘なしで1日歩けました。何しろ今日は、午前中いっぱい法隆寺、午後は東大寺という歩きっ放しの内容なのですから、天気は大いに気になっていたからです。 しかも、どこも修復中のところが目立ちます。法隆寺に注文、じゃなくて法隆寺の中門、東大寺は戒壇堂の門、大仏殿の東回廊、平等院鳳凰堂内の須弥壇(何とここの内陣内に、修復のための足場が組まれていたのですよ。あの狭い所に天蓋まで届く足場が)。清水寺も薬師寺も、大規模修復。西本願寺の飛雲閣もそうですね。 おっと、書き忘れるところでしたが、醍醐寺の五重塔へ行く伽藍の中の林の木が、全部台風で根こそぎ倒れてしまって、まるで新しい建築物を建てるのかと思わせるほど明るくなって整地されようとしているのですよ。これには驚きましたね。高雄の神護寺や、鞍馬の鞍馬寺の参道や森林が倒れて大変な状況になっているのはテレビでやっていましたので知っていましたが、まさか醍醐寺の境内までもこんな事態になっているとは知りませんでした。五重塔は何とも無かったのにねぇ。
by JF1EBPKH | 2018-11-22 15:03 | | Comments(0)

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by JF1EBPKH | 2018-11-21 22:20 | Comments(0)

また、京都に来ています

e0116694_17521248.jpg 10月末にも来ていましたが、また京都へ添乗で来ています。いつもの大学の添乗です。寒くはないのですが、時々しぐれてきます。いよいよ京都も冬の到来でしょうか。紅葉はいまひとつ足りてないようですが、今朝は寒かったそうですので、少し期待できるかも知れません。
これから夕食のご案内をします。いつもの「がんこ二条苑」ですが、気にってもらえるでしょうか。

by JF1EBPKH | 2018-11-20 17:52 | Comments(0)