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by JF1EBPKH | 2018-11-21 22:20 | Comments(0)

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by JF1EBPKH | 2018-11-21 22:18 | Comments(0)

また、京都に来ています

e0116694_17521248.jpg 10月末にも来ていましたが、また京都へ添乗で来ています。いつもの大学の添乗です。寒くはないのですが、時々しぐれてきます。いよいよ京都も冬の到来でしょうか。紅葉はいまひとつ足りてないようですが、今朝は寒かったそうですので、少し期待できるかも知れません。
これから夕食のご案内をします。いつもの「がんこ二条苑」ですが、気にってもらえるでしょうか。

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by JF1EBPKH | 2018-11-20 17:52 | Comments(0)
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  やっと大文字草が咲きました。今年は大分遅いような気がしますが、それだけまだ暖かいのでしょうか。鉢植えのサンザシはまた咲いてますし、桑も実を付けそうです。葉は無いのに、狂い咲いてしまって来年が心配です。
  上田秀人さんの新作を待っているのですが、なかなか出てこないので、連れ愛が電車読書の本として、千野隆司さんの本を薦めてくれました。またまたまげ物、時代ものですが、泣かせてくれます。連れ愛はこういう本を捜すのがうまいのか、あれほど時代小説が並んでいる中で、よく見つけてくるよなぁ、と感心してしまいます。上田秀人さんの時代ものは、ほとんどなじみのない役人が主人公ですが、千野隆司さんのは、もう人情小説ですから、大名といっても『俺は一万石』シリーズとか、同心崩れの振り売り蕎麦屋みたいな者が主人公。ここ数日は、祥伝社文庫の首斬り浅右衛門の短編小説集を読んでいますが、時代考証や風俗の描き方も正確で、さすが国学院の文学部を出て出版者勤めであった人と思わせます。極悪人の死刑執行役ですが、どうしてそうなってしまったのかという謎解きです。犯人探しではありません。出てくる地名も、小伝馬町の牢屋敷はもとより、現在の台東区や墨田区の小学校の名称に残る黒門、竹町、緑、外手(そとで)など、もうその地名だけでも懐かしいのです。なぜなら、私が二十歳代に"全国造形教育連盟"という幼稚園から大学までの美術工作の先生方のヨーロッパ研修を受けていた頃に、良く訪ね歩いた学校なのです。墨田区も台東区も偉いですね。江戸時代の町名をそのまま小学校の名前に付けているのですよ。○○第二小学校などと、番号学校ではないんですよ。小伝馬町の牢屋敷跡は十思公園になっていますが、日本橋の室町支店にいた頃は歩いていける所でした。時の鐘もあります。
  作品は筋立てもよく、冒頭には季節感あふれる時代小説の風が必ず描かれて、すーと江戸時代に誘ってくれます。権力者を描くのではなく、市井の人々の貧しいけれど誠実に生きている人の目で話が構成されていきます。止むに止まれず犯罪を犯してしまう。悪いのはむしろ殺された方ではないかと、今も昔もありそうな出来事。勧善懲悪ではありませんが、性根が良い人が幸せになれるのを期待して書いている、という姿勢がいいです。昭和26年生まれだそうだから、ほとんど一緒の世代だからかなぁ。

首斬り浅右衛門人情控 (祥伝社文庫)

千野隆司/祥伝社

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by JF1EBPKH | 2018-11-15 23:20 | | Comments(0)

地図くらぶ講演3回目

e0116694_17451718.jpg  我が地図くらぶの講演3回目。テーマは、『瀬谷における学校教育』と、『鉄道の始まり』。場所は、区役所に併設されている公会堂の会議室。テーマが地味だし、場所は固いし、お客様(聴講者)は来ていただけるだろうかという心配も何のその。開演の頃は立ち見も出てしまうんじゃないかと心配事が変わってしまいました。 学校の話は、会員の元横浜国大の教育学の名誉教授。近代教育の前説が長すぎて、地元の学校の話が端折られてしまいましたが、ちょっと専門過ぎたかな。身近な話題でもっと聴かせて欲しかった。 鉄道の話は、我がくらぶの鉄チャンで著作も何冊も出されている東大卒の御仁。神奈川県内の鉄道発展史ですが、聞いたことのない鉄道がほとんど。鉄道敷設の申請をして仮免許認可されても、実態は中止であったり、許可がおりなかったりの会社ばかりだったからです。明治末には、神奈川県内の鉄道整備はほとんど完了して現在とあまり変わらなくなってしまうのですが、神奈中が鉄道へ触手を伸ばしていたり、厚木や八王子が現在よりも交通の要衝と思われていたのだとか、徒歩でしか移動がかなわなかった時代から、一気に鉄道が敷設された時代模様が窺われて興味がひかれました。個人の趣味でここまで調べていらっしゃるのはさすがでした。
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by JF1EBPKH | 2018-11-11 17:43 | 趣味 | Comments(0)

宮城三日目

e0116694_22251863.jpg  今回の専攻科の研修は、1日目が登米、2日目は山寺、午後に多賀城跡・碑、東北歴史博物館、塩釜神社。そして最終日の3日目は例年自主研修日になっています。なので、私も3日目は自主研修を"浄法寺"に行く予定にしておりました。浄法寺は岩手県の二戸市にある地名ですが、茨城の大子町(だいごまち)と同様、日本の漆を生産している一大産地なのです。登米、多賀城碑、浄法寺と、研修の添乗とはいえ、私の行きたいところを研修先にしてしまった後ろめたさみたいなものが少しあります。  しかし、学生が全員チェックアウトしたのは11時。自主研修はしないんかいっ!もぅーっと、フロント横で待機している私はガッカリしています。それに仙台は小雨模様で、岩手方面の午後は雨という予報。浄法寺は二戸駅からタクシーで約20分ちょっとかかります。雨かぁ、どうすっかな、と行く気は大分削がれてしまい、浄法寺はまたの機会に、ということにしてしまいました。 多賀城碑:高崎の多胡碑、大田原の那須国造碑、もしくは宇治の宇治橋断碑とともに、日本の三代古碑と呼ばれています。碑文の冒頭に、京を去ること二千五百里。蝦夷国より壱百二十里。常陸国より四百十二里。下野国より二百七十四里。靺鞨国より三千里などと記してあり、天平宝字六年十二月一日とあって、当時の国境の認識を示した一面も残してもおります。ここでいう靺鞨とは中国のこと。三十数年前に訪れた記憶がありますが、碑の周りにある松林の景観に、その時の情景をふわっと想い出されました。現在、多賀城跡の復元(遺跡として)工事をしております。
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by JF1EBPKH | 2018-11-10 23:07 | 日常 | Comments(1)

登米高等尋常小学校

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     明治21年10月に落成してから、昭和48年4月まで実際に使われてきた小学校であることにまず驚かされます。木造2階建て、バルコニー付き。正面の2階建て三角破風をささえる4本の柱の柱頭にはギリシア・コリント用式の彫刻があります。開校以来、この学校は宮城県一の名門校として、この学校の校長になることはステイタスになったという。さもありなんです。設計は天保14年(1813)新潟県生まれの山添喜三郎。何と、明治8年に開催されたウイーン万博の際、日本館を作るための大工として派遣され、そのまま西洋建築を学ぶため9か月間ヨーロッパに派遣された大工だったというのです。、e0116694_21165936.jpg しかし、仕事には厳しかったらしく、材木を納入した業者や瓦屋、それに様々な職人たちからはかなり恨まれてしまったらしい。昭和56年に国の重要文化財に指定されますが(松本にある開智学校は昭和39年)、この町には旧水沢県庁、旧登米警察署のほか、幾つもの文化財建築物があるのです。何故?こんな田舎なのに豊かだったのか。それは北上川の水運によるコメや材木の集散地であったためだという。町の名前の通りなのだ。でも、登米市登米町(とめしとよままち)とは読みにくい地名です。
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左:旧登米町警察署
右:森の能舞台(隈研吾作)e0116694_21570528.jpg
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by JF1EBPKH | 2018-11-09 22:06 | 趣味 | Comments(0)

宮城県に来ています

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昨日より、大学生達約70名ばかりと、宮城県に来ています。今は県境を越えて、山寺にいます。写真は麓から立石寺の五大堂を見上げていますが、ご覧のように大変良い天気です。私も登って行きたいのですが、ちょっと左足が心配なので若い衆に頼みました。彼は山寺は初めてだというし、私は何回も登ってますしね。今朝の宮城県側は靄ってて、鳴子峡も冬めいていたのに、奥羽山脈を越えるとこんな天気でした。e0116694_20155735.jpg     昨日は、くりこま高原駅で降りて登米(とめ)市まで。登米(とよま)町では、明治時代の擬洋風建築物の幾つかを見学しました。警察、能舞台、旧水沢県庁舎など、登米町には見たいものがたくさんありましたが、圧巻はやはり小学校です。これは素晴らしい。明治時代の小学校建築には、松本の開智学校などもあって建築物としても美しいですが、ここの登米高等尋常小学校は白眉です。こんな田舎になぜこのような美しい建築物が今も残っているのでしょうか。それは帰ってから書くことにして、昨晩は鳴子温泉に泊まりましたが、良い宿でした。  今朝の、鳴子峡
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by JF1EBPKH | 2018-11-08 13:37 | 仕事 | Comments(1)

男の手料理2・3

e0116694_17501727.jpg   近所のコミュニティスクールでの『男の手料理』も先週と今週で終わり。先週は、鍋ひとつで出来るパスタ。今週のメニューは、皮から作る餃子です。  鍋ひとつで出来るパスタとは、ソースを煮ている鍋でパスタも茹でてしまうというもの。武将で面倒くさがり屋にはぴったりです。パスタソースやカレーは鍋を洗うのも大変ですから、こりゃ洗う手間も省けて若い人にも受けるんじゃないかな、などと思いながら缶詰のホールトマトをベースにしたソース作りでした。野菜サラダやスープもパスタを茹でる間に造ってしまうのですが、サラダも簡単ながら美味しくできて、こりゃいいです。e0116694_18101148.jpg    今日の餃子は水餃子です。小麦粉をこねて皮を作るのですから、ある意味本格派かも知れません。ラードも入っているので、捏ねやすいし、延びがいいです。生地を寝かせている間に、中身のアン作りと中華風サラダを作ります。ゴマ油やラー油を入れてだけで中華風になります。ナルホド。アンは豚のひき肉、小松菜、生姜、長ネギなどで、にんにくは入れませんでした。これはお好みでということ。寝かせた皮を綿棒ではなく手で作るのですが、これがちょっと難しい。先生は10cmくらいに広げて、とおっしゃるのですが、そこまで延びないのです。縁を延ばそうとすると薄くなってしまい、穴が開きそうになるのです。中心は厚めに、周りを薄くとは、餃子の皮の基本の基ですが、テレビなどでは簡単に作っているのにねぇ。修行が必要です。
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by JF1EBPKH | 2018-11-05 18:19 | 日常 | Comments(0)

小笠原流七五三の儀

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  小笠原宗家の七五三の儀が見られるので、一緒に行きませんか、とお誘いがありましたので、靖国神社まで出かけて行きました。今日は時々小雨が降ったりして肌寒かったのですが、観覧者のためにテントを張っていただけて、雨に濡れることもなく拝見させていただきました。 儀式は、7歳の女児、5歳の男子、3歳の男子で、数えの年齢でするので、実際はそれより1歳ほど若く行うそうですが、関東は3歳、7歳が女子だったんじゃないかな、違うのかなとも思いましたが、今年宗家の後継ぎが3歳なので、そのためかと思います。7歳の女子は"ひもはなし"、5歳の男子は"袴着"ともよばれますが、通過儀礼はその地方、その家ならではの習わしがあるので、ひとくくりにするわけにはまいりません。女子の"ひもはなし"は、着物の紐が、帯に代わることを意味しています。"袴着"も、同様でしょう。e0116694_21573433.jpg  日本の衣装は自分で着装できるものではなく、衣冠束帯、能装束、舞子の衣装等々、すべて着せてくれる介添え人が必須です。侍なら甲冑も。そして、体を締めるものとしてすべて紐類(幅が広ければ帯)が使われます。ボタン、鈎ホック(hook)はありません。日本人がボタンというものを知るのは、明治になって平民が軍服を着てからです。閑話休題。  儀式は厳かに、鳴物もなく行われていきます。三献の儀は大人にはお酒ですが、本人にはジュース。これがおかしい。侍がいた時代は、子供でも児童でも、唇はお酒で濡らした真似事をしたと思いますが。現代の儀式ですね。3歳の未来の宗家は途中で眠ってしまいました。7歳児の介添えは全員女性、5歳児はほとんどが男性。3歳児は烏帽子親ならぬ綿帽子親(白髪が生えるまで長生きするようにという意味を込めるのでしょうか。綿帽子を烏帽子の代わりに頭の上に載せます)が靖国神社の禰宜でした。 礼法の小笠原宗家がこのように一般公開している儀式は、明治神宮での元服式と、靖国神社での七五三だけ。かって、弊社が40年前に"ジャパンウイーク"というイベントをフィレンツェで開催するということで、イタリア好きの社員が集められ、私は世田谷にある小笠原宗家を訪ねて流鏑馬を是非フィレンツェでやっていただけないかとお尋ねしたことがありました。結果は、馬はどうするとか、検疫とかの問題でダメでしたが、小笠原家と聞くと、このことが想い出されます。
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by JF1EBPKH | 2018-11-04 22:14 | 日常 | Comments(0)